季語のはたらき
青畝師著『自然譜』からもう少し抜粋してみます。
声俳壇に出句なさる方は必ず季語を忘れずに読み込んでおられます。それは俳句に季語が生命になるからであります。季語のない句は俳句ではないのですから採ることができません。なぜ季語が必要かということは、俳句は極端に短い詩であって多くを盛り込んで叙べられないために、余情とか連想とかに由って意味を出来るだけ広くするのであります。
日本という国の特色は春夏秋冬の秩序が正しく、昔から美しい自然を賛美し、こまやかな季節感情に感動する伝統的な精神を養っております。そこで季語が制定されるのであります。季語はあらゆる季節的要素を圧縮して短い言葉となっているが、それはまた無限にひろがる可能性に富んでいます。
季語をよく生かせる人は立派な季節詩をなし、生かせない人は無意味に終わってしまいます。季語のはたらきを手品師のように自由自在に駆使するとき、多くを語らずして人の肺腑(はいふ)にしみこむさ作品ができあがります。
もともと俳句は沈黙の詩なので、そういう力を利用するわけであります。
『自然譜』より抜粋