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恒例の巻頭言公開です! あと数時間で配信。今回は絶対に購読お勧めです。とてもおもしろい号です。
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こんにちは。ゲンロン観光地化メルマガ、21号をお届けします。
今号は――と、今号だけ特別扱いをするのは毎号発行している身として自殺行為であることはわかっているのですが、それでも率直に言うと、今号はぶっちゃけかなりおもしろいです。
まずは恒例の「福島第一原発観光地化計画の哲学」シリーズ、今回は清水亮さんの談話をお届けします。清水さんは最初から観光地化計画委員だったのですが、本業が経営者ということもあり、おそらく読者のみなさんにとって「なぜ参加されているのか」がいちばん見えにくい方だったのではないかと思います。そこでこのインタビューでは、まずは清水さんの東日本大震災経験を中心にお聞きしました。そこから生まれた福島ゲームジャムの企画、業界内ではかなりの知名度があるとのことですが、本紙読者のなかには知らないかたも多いと思います。民間初の復興支援として興味深い事例だと思いますので、ぜひサイトをご覧になってみてください。
それにしても、個人的に驚いたのは、清水さんの会社UEI(ユビキタスエンターテインメント)が昨年発表したタブレット端末、EnchantMOONの原点が震災経験にあるという話。みなさんご存じのとおり――いや、ご存じないかもしれませんが――ぼくは清水さんの会社のCPO(最高哲学責任者)なるものを拝命しており、EnchantMOONについても発売前からいろいろ聞いてたのですが、そんなエピソードはまったく聞いたことがなかった! 彼はしきりと「新型端末開発で個人に力を与えたい」と話していましたが、その想いが震災から生まれていたとは。そのことを知っていれば、観光地化計画の書籍版でももっといろいろなにかできた気がします。少し後悔してます。
思えば清水さんとふたりでいるときは、バカ話しかしていない。まあ、友だちってそんなものかもしれません。まじめな話は、こういう改まった場を設定しないと出てこないものですね。インタビューを設定してよかったです。
インタビュー後半は次号に掲載されます。タイトルにある「花火」は後半で出てくる話題なので、そちらもお楽しみに!
続いて浜通り通信には、なんと、『原町無線塔物語』著者の郷土史家、二上英朗さんが登場。二上さんは、先日ゲンロンカフェにご登壇いただき、独特の話術と広範な話題で観客を魅了したことが記憶に新しいと思います。今回と次回は、そんな二上さんからの特別寄稿。そしてこれがまたじつに考えさせます。福島第一原発の敷地がもと陸軍飛行場で、そして震災発生時、まさに二上さんがその歴史を辿る書物を執筆中だったとは! いつの日か二上さんが書かれるであろう「福島第一原発ものがたり」が、いまから楽しみでなりません。
原発事故についての記憶は急速に風化しています。少なくとも東京ではそうです。ツイッターにも書きましたが、最近ゲンロンカフェでもそれを痛感する出来事がありました。九州の川内原発はすでに再稼働に向けて動き出していますし、原発新設も公然と議論されるようになってきました。低線量放射線による健康被害は深刻ではなかった(それはたしかにそうです)、被災者にとって喫緊の問題はむしろ故郷の回復であり経済問題である(それもまたそうです)、そして日本の経済的かつ地政学的な条件を考えるとエネルギー政策の大きな転換は現実的ではない(それもまた事実と言えば事実でしょう)、そういう「リアリズム」が急速に勢力を回復するなかで、いまから3年半前、あのとき浜通りの人々がなにを喪失したのか、そしてこれからなにを喪失し続けるのか、その「心理」の部分は急速に議論の辺境に押しやられようとしています。そんな曖昧なものについて語るのは趣味でしかないと、冷笑の声も聞こえます。
しかし、それは本当にリアリズムなのでしょうか。なるほど、金がなければたしかになにもできません。金の切れ目は縁の切れ目です。しかし金があるからなんでもできるというわけでもない。人間社会を作るのは経済だけではないというのも、また一面のリアリズムです。原発事故からわずか数年で、この問題について経済の言葉でしか語ることができないようになってしまった、その「想像力の貧しさ」のツケこそ、後世が支払うことになるように思えてなりません。
そんな状況のなか、二上さんのような郷土史家の存在はじつに貴重です。外部から押しつけられた「かわいそうな被害者」の像でもない、かといって「リアリズム」に基づく「結局金目でしょ」の開き直りでもない、本当の当事者の歴史をだれかが語る必要があるからです。ゲンロンとしては、これからも二上さんの仕事を積極的にフォローしていきたいと考えています。
そして最後に、黒瀬陽平くんの連載は、先日までゲンロンカフェで開催されていた「ポストスーパーフラット・アートスクール展」の報告です。これもまたじつにおもしろい。
この展覧会、基本的には、ゲンロン主催で黒瀬くんを講師とし、美術家志望の若者を集めて行った3ヶ月ほどのスクールの卒業制作展でしかありません。しかし実際には、アマチュア受講生の作品を集めた展覧会どころか、「ポスト原発事故の世界でアートはいかにあるべきか」という軸が通った、刺激的な問題提起に満ちた力強い美術展へと変貌を遂げることになりました。黒瀬くんがこの連載で展開してきた問題意識が、教師かつキュレーターという立場を通して、すべてこの卒業展に流れ込んでいます。ぼく自身、開催前日、大量の砂利と土を運び込み(カフェは雑居ビルの6階にあるので、積載荷重量の計算にカフェオーナーとして頭を悩ませました……)、「浄土庭園」と化した会場を見て驚き、またその完成度に舌を巻きました。自社の企画なのでどうしても自画自賛にしか聞こえないと思いますが、実際、こんなアートスクール、日本ではほかどこにも存在していないと思います。展覧会場では受講生たちの異様な興奮も伝わってきて(搬入出日を含め5日連続毎晩のように打ち上げをしていたようです)、大成功でした。
ところで、そんな展覧会ですが、ぼくがこの報告を読んでいちばん興味をもったのは、やはり、受講生の梅田裕氏が卒業制作展のもとになるものとして差し出したという「福島第一原発浄土庭園化計画」でしょうか。「原発という超越的な対象を『西方浄土』に重ねあわせ、敬して遠ざけると同時に、原発を遠くから展望しながら救済を求める人々が遊ぶ庭園空間」を作り、「釈迦入滅後56億7千万年後に訪れる弥勒の救済を待つ場としての浄土庭園と、ウラン238の半減期45億年という時間軸の中で『復興』を為そうとするぼくたちの現在を重ねあわせ」ようというその計画は、コンセプトを聞くかぎりたいへんよくできている。以前、大山顕さんの「Jヴィレッジの本来の等高線を家電の瓦礫で埋めて回復する」という構想を伺ったときも興奮したものですが、そのようないくつかのアイデアを組み合わせることで、いまならば、新たに「福島第一原発観光地化計画展2.0」を構想できそうな気がし始めています。
さきほど、復興をめぐる「リアリズム」の台頭について記しました。ポスト原発事故のアートをめぐるこのような議論も、リアリズムを大切にする方々にとっては、暇人の遊びにしか見えないのかもしれません。けれどもぼくは、そんな「遊び」が、人間にとって、そして社会にとって決定的に重要だと考えているのです。遊びなしに、すなわち文学や思想や芸術なしに、人間がどのようにして未来に向かって進めるのか、ぼくにはそのほうがわかりません。
少し長く書きすぎました。いずれにせよ、そんな感じで、今回は読み応えのある原稿が盛りだくさんです。率直に言って、これで270円は激安すぎます。無料公開でこの巻頭言を読んでいるかたは、ぜひ購読プログラムにご登録ください。いや、ほんと、今回は絶対後悔しませんよ!
それでは、また2週間後に!(東浩紀)
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