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知らぬ存ぜぬうちの花・2

 かしゃ、かしゃ、と裁断された雑誌の紙片がスキャナを通っていく音が、急にがらんとした部屋の中へ響いている。その音も長くは続かず、最後の一枚を機械の中へ飲み込み、吐き出すと、止んでしまった。
 漉は、機械から吐き出された、もとは雑誌の体を為していた紙片を、すべてまとめて排出口から取り出すと、机の上で端を揃えて、左上をクリップで留める。画面の真ん中へ表示された検索結果の窓を一瞥して、画面の横に立てかけてあった無傷の雑誌を「要確認」の箱へと放り投げる。すでに山を為していた箱の中身は、漉の放り投げた雑誌が落ちてきた衝撃で、雪崩のように崩れていった。机の上に留まらず、床の上まで滑っていき、またその場所で山をなす。
 それを見て、橙頭をかきむしり舌打ちをする漉の様子を、栞屋が咎めるような視線で見つめていた。栞屋が何か口を開く前に、漉はしゃがんで、床の上へ山になった雑誌を、机の上へ積み直し始めた。緩慢な手付きからは、やる気は一切感じられない。
「ただいまもどりました」
 油の足りない蝶番が軋む音の後、ゆっくりとした口調の声が、室内へそう告げる。おつかれ、と彼女――楽浪へ答えるのは、今は栞屋の声ばかりだ。そもそも、室内に居たのが漉と栞屋だけだったのだ、それに加え、漉は手を動かしている、となると、出迎えの声が幾分か寂しくなるのはまったく仕方がなかった。
「他の課の様子はどうだった」
「そうですね……やはりどこも、あわただしいようすでした。じゃっかん、にんずうがすくないぶしょもあったとおもいますけれど、ひじょうじ、ですものね」
「そうだな、この非常時だ。本部も設置されてるし、そこへ人も流れてるだろうな」
「……だからっつって」
 栞屋の、庁内の状況を是とする旨の言葉へ、漉が小さくつぶやく。腕の中の雑誌の山を、荒っぽく机の上へ置いた。二人から机二つ分、離れたところの椅子へ腰掛けた楽浪は、派手な橙頭がくるりとこちらを向いたので、ぱち、ぱちと目を瞬かす。その表情が、ひどく憤っているものだったのだ。
「こんだけ人割いて、がさ入れしに行く意味、ありますかねえ?!」
 こんだけ、の言葉とともに、漉は大きく両手を広げてがらんどうの部屋を示して見せた。それへ続く言葉は苛立たしげで、今にも地団駄を踏み鳴らし始めそうだ。
 もとより漉は実直に感情を表現する方ではあるが、今日は一層それが顕著だ。理由として思い当たることが幾つもあったため、断定は避けて、無難な言葉を選びながら、栞屋は口を開く。
「いい機会だ。小さいカストリは取り潰す算段なんだよ、これにかこつけてな」
「分かりますし、すんばらしく合理的で良いんじゃないかと思ってますけど?!」
「……お前一人に通常業務押し付けていったのは悪いと思ってるからな、多分」
「ほら、そこで断定されない! どいつもこいつも計算機を魔法の箱だと思いやがって」
「でもやってただろう」
「ほぼ最新型の機械と俺にかかればスクリーニングなんて一発ですうー!」
「流石だなあ、漉。えらい部下を持って俺は幸せだ」
「誉めるくらいならボーナスアップを熱烈に所望!」
 がらがらと、栞屋の前まで椅子をひいてきて、どさりと腰かける。疲れた様子ではあるが、栞屋と交わした会話のためか、計算機の画面に向かっていたときほどの塞いだ様子はもう見られない。代わりにありありと浮かぶのは、面倒くささと疑念の色。こてん、と少し離れたところ、楽浪が首を傾げるのも無理はない。
「すきさんがいらだってられるのは、めいれいてっかいのけん、です?」
「ご明察! んだよ提出しろやっぱいらねえのって、はじめっから要らねえって言ってりゃ、うちだって優先順位変えて動けただろーが!」
「まあなあ」
「後、俺がもうちょい楽だった!」
「まあ、なあ」
 荒神総理誘拐事件に関する一切の情報を統制すること。次いで、万が一有益と思われる情報があれば、どんな些細なものでも提出をすること。後者が撤回されたことこそが、漉が感情を高ぶらせている一因だった。
 何があったのか――急進展か、それとも捜査本部ないでの行き違いやら仲間割れでもあったのか。ともかく、急な命令撤回は、今までそれにかかずらっていた検閲課の人員を一気に外へ向けられるだけの余裕を産むものだったわけであり、そのしわ寄せを食らう形で、楽浪は庁内の配本を、栞屋は書類の処理を、そして漉が一通りの検閲業務を、一手に引き受け執り行う形となっている。
「情報の提出、なんて命令がなけりゃあな、俺がスキャンして引っかかった書籍は一発アウト、で済んだんだよ。あーもうまじ面倒くせえ」
「の割に、熱心だったな」
「……手ぇ動かしてないと、余計なこと考えちまって仕方がなかったんすよ」
 はあ、とため息をついて行儀悪く椅子の上へ胡座をかく。それを咎めるように見る視線は今はない。紙魚の彼女はがさ入れに出ているし、いつもなら真っ先に注意をいれる栞屋も、沈黙したまま苦笑を見せていた。
 乱れた髪からヘアバンドを外して、橙の髪を更に自分でかき回し、漉は目を閉じる。初日から気が付いてはいた違和感が、ここにきて増悪し、何ともいえない気持ちの悪い焦燥感を駆り立てている。増悪のきっかけは明確、先ほど楽浪の指摘した、命令撤回だった。
 ――鮫島警視長は、何故表に立たないんだ?
 昨年六月の列車事故も、七月の臨海公園も、十一月の「東京」騒動も、十二月の大阪の一件も――先頭に立ち、取り仕切っていた存在が、今回に限って姿を見せない。それが漉には、どうしても納得がいかない。今回の命令撤回の件もそうだった。今までならば、一つの課へこんなに大きな動きを及ぼすような命令を、電話一つで済ますようなことはしなかった。
 そんな人格だ。そんな人格者だからこそ、あの首をもがれた男が組織の頂点へ立つことが、認められた。
 だからこそ、その不一致からどうしても目が離せない。この組織を揺るがす大事に、あの男は何をしているのか。
 その疑念とともに、浮かび上がるのは春もはじめの異変。鮫島警視長の許嫁の失踪。失踪、東京、荒神――鮫島事件。
 ゲームのような連想の果てに導き出された答えに、あーくそと、いっそう強く髪をかきむしる。その内容が、明らかに、もうこの職場から姿を消した同僚に毒されている。罪な野郎だ。ちっと舌打ちの後、ヘアバンドで無理矢理に前髪を上げ留めた。
 ようやく一段落ついたらしい漉の様子へ、栞屋が声をかけようと口を開くと同時、じりりと電話のベルが鳴る。すぐに栞屋がその受話器をとった。それを横目に見つつ、漉は「要確認」の箱――もう世に出回ることはないと決定した書籍の積まれた箱から、一冊、雑誌を抜き出す。それをどこか落ち着かない様子で椅子に座る楽浪へと放り投げた後、もう一冊を自分の手元へ置いた。本が床に落ちる音と、きいと椅子の鳴る音がする。
 スキャンの画面を見つめるだけで、じっくりとは読んでいなかったその雑誌の中ほどのページを捲る。昼頃に届いたカストリ雑誌は、内容があるのか分からない、写真ばかりを載せたページが続いている。それらには、検閲課内ではすでに周知の事実となっている誘拐実行時の写真、また、今朝見た雑誌にもあった、実行犯と思しき人物の勤務中の写真が含まれている。横同士のつながりか、はたまた情報を一括して流している誰かが居るのか。ぱらりと頁をめくれば、警視庁の駐車場から出ていく車の写真。私物であろうその車、ナンバープレートがしっかり映っているだけでなく、運転席に座る男の顔までもがしっかりと、写り込んでいる。
 おいおいおっさん、こんなとこでぶれずに写真に映ってんじゃねーよ。そう鼻で笑う漉の声へ、受話器を置くがちゃんという音が重なった。
「劇物作家が動いたらしいぞ」
「! マジすか」
「いくつかのカストリの編集部に、奴さんの手書きが残されてたと」
「あっちゃあー……そいじゃあ、俺たちの仕事ももう意味ねーかもしんねえですね」
「やらないよりはマシ、だ。いざとなったら全部燃やせばいい」
「あんたが言うと冗談にならねーからやめてください、栞屋さん」
 漉の言葉へにっと笑って見せる栞屋は、検閲課きっての過激派、超攻撃特化の異能をもつ亜人だ。触れた物体の温度操作。その異能は専ら、紙を燃やすことについて使われているのだが。
 それを思えば、残された面子には意味があるのかもしれないと漉は思う。課長がくじ引きで選んだ、という可能性も当然、捨てきれないが。
「あ」
 黙々と雑誌を読んでいた楽浪が、声をあげる。漉と栞屋がそちらを見れば、床の上へ、紅い袴の足元へ、どう見ても印刷物ではない折り畳まれた藁半紙が、はさりと落ちるところだった。