オランダ移住を語る上で欠かせないのが、日本とオランダの間で1912年に締結された日蘭通商航海条約(The Treaty of Trade and Navigation between the Netherlands and Japan)です。100年以上も経っている戦前の条約ですが、日本人がオランダで労働許可なく就労したり、自由に事業をしたりする特権が認められる根拠になりました。
ただ、この条約、二度の世界大戦による混乱もあったためか、実際は長い間忘れ去られていました。再び注目を集めるきっかけになったのが、オランダにある文化センター「松風館」をめぐる裁判だったのです。
── 日蘭通商航海条約が復活するきっかけとなった、松風館の裁判について詳しく教えていただけますか?カイパース氏:松風館はオランダのロッテルダムにある日本をテーマにした文化会館で、2012年に日本茶室と庭園の建設のために日本から宮大工を招聘しました。当時、日本人がオランダで働くためのハードルは高く、EU諸国で適切な人材がいなかったと雇用主が証明する必要がありました。その上さらに、労働許可を取得する必要がありました。これはオランダ国内の雇用機会を守るための仕組みですが、松風館の場合は日本独特の建築技術が必要とされることから、宮大工の雇用には労働許可の取得は必要ないと考えていました。しかし、オランダ労働局はこの就労を違法として6万ユーロ(約780万円)の罰金を課しました。
その後、松風館はこの労働局の判断を不服として裁判を起こすことになるのですが、これは自然な成り行きだったと思います。松風館は財団法人ですから、罰金が高すぎて払えなかったという背景もあるでしょう。
そして、裁判の中で松風館側の弁護士が展開したのが、1912年に締結された日蘭通商航海条約を根拠として「オランダにおける日本人の労働許可取得は必要ない」という主張でした。この主張が認められて、松風館は勝訴しました。
── 日蘭通商航海条約について、オランダ政府はその時点まで知らなかったのですか?カイパース氏:知りませんでした。私は企業誘致局で働いていますので、もし既に知っていたら仕事で必ず利用していたはずです。なので誰も知りませんでした。まさにサプライズです(笑)。
“いつもコップの7割くらいまでお茶を注ぐからその高さに茶渋がつくんだけど、そうするとなぜかその茶渋に合わせてお茶を注ぐようになって茶渋の位置が意味あるもののように機能しはじめるし、それを覆すことが難しくなって、何もかもこういうふうに決まっていくんじゃないかと思ってしまう時があるな”