ウシドリのレビュコラム — 君に届け / 沙糸しろたま

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Sounds perfect Wahhhh, I don’t wanna

君に届け / 沙糸しろたま

『君に届け』
歌 : 沙糸しろたま
作詞作曲 : Theムッシュビ♂ト

試聴はこちら↓
https://soundcloud.com/monsiurbeat/m3

 という訳で記念すべきレビュコラム第一回は恋の話。
 人は人間に生まれたからには恋をするものだが、これほど厄介な感情は他にない。なぜなら、酩酊と同じぐらいに正常な思考状態ではなくなるからである。

 高校の時に好きな女性がいた。名前を仮に「平山由里子さん」としておこう。
 彼女は同学年の才女で、少し古風な人だった。
 本の栞に押し花を使ったり、笑う時は口元を隠したり、いつも背筋が真っ直ぐだったり、なにかあると一句読んだり、歯を真っ黒に塗っていたり、夫と敵対する軍勢に城を囲まれて自害したり。まぁ、なにぶん古い話なので四つ目あたりからの記憶は曖昧だけど、とにかく少し不思議な人であった。
 彼女と言葉を交わしたのは、高校二年の四月だった。
 新入生のために教室の表札を入れ替えて(1-Aを1-Cにとか)大混乱を引き起こした件で呼び出しを食らった私が、「海外では悪戯は歓迎の意味」「目に写る物を簡単に信じるなという教訓」などの言い訳を考えながら職員室に向かうと、廊下に彼女が居た。
 「おや、まさか彼女も悪戯を? 椅子に漆でも塗ったかな」と思ったが、話を聞くと、連絡事項があるのだが会議中で入れない、とのことだった。
 待つしばしの間、なにを喋ったかは良く覚えていない。なんとなくブラックホール関係の話だったと思うが、記憶に残っているのは、私の下らない話で百合のように笑う彼女の姿だった。
 これで恋に落ちた。いや、その時にハッキリと自覚した訳ではないが、完全に意識し始めたのは確かである。
 そして運良く(首尾よくとも言う)彼女と同じ環境委員になったことで、頻繁に顔を合わせるようになり、想いは加速度的に募っていく。具体的に言うと、寝ても覚めても彼女のことが頭にあり、毎夜妄想ばかりしていた。(妄想の内容は割愛させて頂く)。
 夏休みに入る直前、委員会の仕事で遅くなった私が自転車置き場に行くと、彼女が一人立っていた。遅くなると一人歩きは危ないので家族が車で迎えに来るのだという。
 「なるほどそれは危ない、どこに彼女を狙う妄想変態男が居るか判らない。守ってあげねば。ゲヘヘ」と思い、自分も留まることにした。
 彼女は私のことを苗字に「さん」付けで呼んだ。つられて自分も彼女を「平山さん」と呼んでいたが、それを寂しくも思っていた。
 出来ればお互いを名前で呼び合いたい。なんなら糞虫と呼んで貰いたい。どうかパンプスで踏んで頂いきたい。そう思っていた私は、この時に一つの決断をした。
 思い切って下の名前で呼んでみよう!
 だが、これが困難を極めた。当時の私の心境にしてみれば、彼女が少しでも不快な思いをすれば即ち死、である。ときメモで言えば選択肢を間違った瞬間に爆死である(ときメモがそんな凄惨なシステムだったかはプレイしてないので知らない)。
 時間ばかりが過ぎていき、ぎこちない自分のせいで会話も途切れがちになる。
 その時、校門の当たりに車のヘッドライトが見えた。迎えの車だ!
 焦った。非常に焦った。近づく車に急かさせて、私は思わず呼んでしまった。
 「由里子」と。
 呼び捨て!!??? パニックに陥った。余りのハードランディングだった。鋭角に急降下した私の青臭い心は木っ端微塵に砕け散り、世界中に散らばった破片を拾った108人の男たちが宿星を宿し、ついには悪しき皇帝を打ち倒したという。
 実際の所は、彼女は少し驚いた様子だったが、すぐに「なに?」と微笑んでくれた。
 助かった。どうやら彼女も北方謙三のファンだったらしい。
 こうして私は”彼女の名前を唯一呼び捨てに出来る男”として夏休みを迎えた。

 しかし、話はこれで終わらない。いつものように「由里子由里子」と呟きながら床に寝そべってぐるぐる回っていると、友人が家にやってきて、開口一番に言った。
「お前平山さんになにしたんだ?」
 心当たりはなかった。なぜなら、彼女は夏休みに入ってから会っていない。友人の質問の真意を計りかねていると、彼は非常に言いづらそうに教えてくれた。
「又聞きの又聞きだけど、どうやら平山さんが、牛鳥が突然名前を呼び捨てにしてきて怖かったと言っているらしい」
 この時の私の精神を文字にするのは難しい。おそらくこんな顔だっただろう。

 (‘・c_・` )

 とにかく、こうして高校二年の恋は終わった。
 いや、今になって思えばなにも終わっていない。実際どういうシチュエーションで発した言葉か判らないし、冗談だったのかも知れない。だが、その時はそんな風には思えなかった。
 平山さんに嫌われ、そしてその事実を吹聴された。そう思った。
 憎む、までは行かなかった。なぜなら自分が悪いのだから。それぐらいの冷静さはあった。だが、アレほど燃え上がっていた恋心は、失望と言う名のなんだか良くわからない焦げた塊となった。
 夏休みが終わり、委員会で彼女と顔を会わせる日々が始まった。だけど、もう会話をすることはなかった。
 「彼女を怖がらせたくない」とかなんとかまるで闇社会の住人のような言い訳をしながら、頑なに彼女を避けた。彼女もまた、こちらの事情を知ってか知らずか、避けているようでもあった。

 今回紹介する「君に届け」はそんな少年の悲哀を歌った曲、ではない。
 青空の下で精一杯に咲き誇る少女の恋の歌である。太陽のように眩しく、無限のエネルギーに満ちている。
 歌声は特別なものではないけど、非常に心地よく、音楽にも詩にも調和している。それは、この曲自体が特別な人間の歌ではなく、だれしもが経験する恋物語なのだからだと思う。
 6000年前、メソボタミア文明の粘土板に記されていたのは恋愛詩であった。万葉集に集められた和歌もほとんどが恋の詩だ。時は変わり、場所が移っても、人の営みは変わらない。
 なにが言いたいのかと言うと、この曲は「普通の曲」であるがゆえに「不朽の詩」であるということだろうか

 この曲のようにキラキラと輝く日々を与えてくれた彼女とは、結局高校を卒業するまで話すことはなく、その後の消息も全く知らない。
 君に届くことは、恐らくもうない。