June 23, 2014
ライプハイマー:僕が言わなければならないことを人は聞きたがらない、そして僕はそれを責めるつもりはない

2014年6月17日に Velo News に掲載されたライプハイマーのインタビュー “Leipheimer: ‘People don’t want to hear what I have to say, and I don’t blame them’” を訳してみた。

リーヴァイ・ライプハイマーは終点と終点の間にいる男だ。それらの終点は現在どのように定められているのだろうか、たとえ彼がそれをはっきりと言うことはできなくとも。
ライプハイマーはかつて世界でもトップクラスのアスリートだったが、彼の遺産には永遠に汚点が残される。彼は偉業を成し遂げることに半生を捧げてきたが、今や多くの人がそれを無意味だと思っている。彼はかつての模範例であるが、同時に絶頂期を持たない男でもある。彼はプロ自転車競技についての莫大な知識を持っているが、その情報が歓迎される場所がどこかはわからない。彼は自身の行動について謝罪するが、多くの人が自分を決して許さないだろうことをよく分かっている。
USADAの実に筋の通った決断がUSポスタルチームの組織的ドーピングにかぶせられていた覆いを吹き飛ばし、そしてライプハイマーや他のアメリカ人選手たちが自身のキャリアのいくつかの時点でドーピングをしていたことを認めてから二十ヶ月が経つ。
そしてこうした選手たちの多くが半年間の出場停止を経てレースに出続けているのに対し、ライプハイマーのキャリアは所属していたオメガファーマ・クイックステップから突然解雇されたことで終わりを告げた―――USADAのCEOであるトラヴィス・タイガード曰く「伝統的なオメルタ行為」的対処だったが。
過渡期の中で老いていくアスリートである四十歳になるライプハイマーだが、そのはけ口を持たないわけではない。彼は今も自転車に乗っている、定期的に、カリフォルニアのサンタ・ローサにある地元の街で―――時にはBMCに所属する近所住まいのピーター・ステティナと共に。また彼は北カリフォルニア・ハイスクール・サイクリングリーグから来た若い選手たちとも活動している。
何よりライプハイマーには自身の名を冠したイベントがある。リーヴァイズ・グラン・フォンドは毎年開催され、今年で六年目になる。七千五百人の参加者を集め、彼の引退後の人生においてより深い意味を帯びつつある。
彼のグラン・フォンドについての新しいドキュメンタリーのトレイラー映像の中で、またUSADAの摘発の後でこのイベントがいかに展開していったかが語られる中で、ライプハイマーは率直にこう述べている。「僕が言わなければならないことを人は聞きたがらない、そして僕はそれを責めるつもりはない」と。
しかし私たちは、ライプハイマーが言わなければならないことを聞きたいと思った。
VeloNewsは先月二度にわたって彼と話した。一度目はソノマ郡で走っているときで、彼がかつて三度優勝を収めたツアー・オブ・カリフォルニアが開催される数日前のことだった。今回紹介する二度目の会話は、そのカリフォルニアのレースが終わって数日後のことだった。
その目的は? ライプハイマーが議論を催す過去と共にどこにたどり着き、また彼の未来に何が待ち構えているかを知るために。


VeloNews(以下VN):それで……どうしていたんだい?
リーヴァイ・ライプハイマー(以下LL):それは簡単に答えられることじゃないな。僕は十七年間レースを走ってきた。大きな変化だった。自転車レースは僕のキャリアであり、僕の職業であり、それは第二の性質になっていた。引退前はこう考えていた、「この後は何をするんだろう? 僕の人生はどうなってしまうんだろう?」 そして自分自身にいつも言い聞かせていた、少し休みをとって、息抜きをするんだと。
プロでなくなった後、最近テレビでジロ・デ・イタリアを観戦していて、それがどれだけストレスに満ちたものだったかに気づかされた。そこに関わってくるプレッシャーというのは甚大なものだ。その時は大したプレッシャーじゃないと自分に言い聞かせるけど、この一年半は大きな息抜きになった。
僕はグラン・フォンドに力を注ぐようになった、僕にとっては子供のようなものだ。僕が誇りに思っているものなんだ。僕らはたとえば北カリフォルニアリーグのようなたくさんの受益者を支援できるようになったし、僕自身子供たちと一緒に活動して、キャンプを張って、いくつかのレースに参加してきた。NICA(National Interscholastic Cycling Association:国立対校自転車協議会)や北カリフォルニアリーグがやっていることは革新的なことだと思う。数年前に僕が考え出したこの自転車イベントが現在は北カリフォルニアリーグのスポンサーであることに僕はとても誇りを覚えている。
僕の妻のオデッサはこれまでのほぼ六年間にわたって勿忘草牧場(Forget Me Not Farm)でボランティア活動をしてきた、そしてグラン・フォンドを通じて過去五年間で五十万ドルの支援を行ってきた、そうするだけの理由がある―――あそこは人生の中で極端なしつけなどの経験をしてきた子供たちを支えるセラピー施設なんだ。こうした虐待の循環を止める努力なんだ。僕たちはそうした子供たち、もしくは動物たちのためにお金を出してきた。僕はこうしたことに力を注ぐべきだと感じている。こうしたことに関わるのが好きなんだ。
僕はまだ自転車に乗り続けることができるし、健康を保ち続けられる、そしてコンディションを調整して長いこと自転車に乗れることが嬉しい。ああした年月の後で、あのレベルに到達できた理由が自転車に乗ることが大好きだったからだということに気づいたし、今もそうできることはとても幸運なことだ。僕は今までになくそれを実感している。
そして僕は初恋にも立ち戻った、つまりスキーだね、長いことご無沙汰だったけど、というかご無沙汰にしていないといけなかったんだ。レースを走っているときは写真を見たり、テレビでスキーのレースを見たりして、いつかはまたやれることを楽しみにしていた。それはとても素敵なことだった、普通の生活に立ち戻ることを容易にしようとすることはね。

VN:サンタ・ローサに住みながら、つまりツアー・オブ・カリフォルニアとグラン・フォンドの両方に関わってきたこの土地で、普通の生活を送るなんてことは可能なんだろうか?
LL:僕は普通の生活というものを……いつでもフィジカル面で万全の状態にしておかなければならないわけではないということだと思っている。僕は年に百日はレースを走らなければならず、シーズンは九ヶ月も続いた……多くのものを犠牲にしなければならないんだ。自転車の上で歯を食いしばっているか、休んでいるかで、その合間にはあまり多くのことはない。僕はまだ自転車に乗っているけど、それについて心配することはない。サン・フランシスコで友達と集まったり夜遊びをしたりとか……僕はキャリアの中でそんなことはしなかった、僕は自分の生活様式にはとても厳格だったんだ。今僕は自分のフィジカルの状態にそれほどぴりぴりする必要がない。ナイフのように尖っていなければならない必要もない。定期的にマッサージを受けることはもうない。僕は普通の生活というものをそうだと考えている。もう常に自分本位で考える必要がないんだ。

VN:君の言うことを聞いていると、「常に自分本位で考えない」―――まるで新しく親になった人から聞くような言葉だ。それが興味深いのは、君とオデッサには子供がいない点からだ。それに君たち二人とも現在は子供たちのための組織に関わっていることも、興味深い。
LL:いくつかの理由があって、オデッサと僕は子供を持たないと早い段階で決めた、けれど二人とも動物が大好きなんだ。彼女が動物救助や保護に深くかかわるようになって十四年になる。家には二十二匹のペットがいて、全員保護団体から来た子たちだ、馬、山羊、リャマ、豚、ヒツジ、みんな僕たちの子供のようなものだ。何年か前にグラン・フォンドについてのドキュメンタリーを作ったけれど、その中で彼女もインタビューを受けていて、彼女は牧場に行って、ああした危険にさらされた子供たちと一緒に活動して、しばらくそこで活動した後で、自分の子供を持つ運命にはなかったけれど、この子たちはこの世界の中で彼女が助ける運命にあった子供たちなんだと言って、それは彼女をある意味で驚かせた。僕もNICAや北カリフォルニアリーグに関しては同じような気持ちになる、僕はあの子たちに、そして自転車というスポーツにお返しをするようになったんだ。

VN:つまりこういう人――とりわけ親御さんたち――もいるんだろうね、これを読んで足を止めて「リーヴァイ・ライプハイマーはこんなことをやっているんだ、何年もドーピングをしてそれについて嘘をついてきたあとで、自転車に関して子供たちと一緒に活動しているんだ?」と言うような人も。それについてはどう折り合いをつけている?
LL:それはまっとうな質問だね。僕には子供がいないけれど、親もその人生の中で過ちを犯すことを、そして子供が過ちを犯すのを見たくないと思うものだということを僕の両親から学んだ。どんな親でもそう考えるものだと思う。けれど若い選手たちが僕の話を聞きたがるかは彼ら次第だし、僕のような人間から話を聞くことは、彼らにとって糧になるだけのことだと思う。はっきりと言うけど僕は子供たちに薬を使えだなんて教えない、僕はただ質問に答えるだけだ。僕の姿勢は「それが起こらなかったふりはしない」だ、誰もそこから学ぶことはない。僕はそんな状況は求めてなかった。十二歳の頃には僕は薬を使うだなんて考えなかった、けれどどこかで踏み出してしまい、そしてそれを正当化した。自転車についてのニュースを読んでいると、それが問題になったんだ。自分がプロだった頃にはそれが問題でなかったことを望むし、状況がよくなっていくことを僕は望んでいる。
今度発表した新しいドキュメンタリーでは、僕が子供たちと話すシーンがあって、彼らは思いついたことを何でも訊いてきて、僕はそれにできるだけ最良の答えを返している。率直なものだ、最後に薬を使ったのはいつ? それはどんなもの? 今一緒に生きていくのに楽しい物事じゃない。今現在はこういうことで僕は知られていると思う。扱いにくい問題だ。彼らがその状況や僕の経験を理解することを、そして自転車をより良くしていくことを手助けできるよう僕は最善を尽くしているんだ。薬を使うことはこうした状況を何も手助けしなかったのだと今はわかっている。

VN:USADAのレポートが発表されると、それぞれの人にそれぞれの手札が配られた。君のキャリアは終わったけれど、そうでない人もいて、彼らはまだレースをしている。真実が日の目を浴びたというのに自分は公正に扱われていないと感じている?
LL:僕たちはこうした世界の一部だったんだ、そこは……僕には何かが不公平だと訴える権利はない。僕はルールを完全にわかっていたんだ、もし見つかったら、それはほとんどキャリアの終わりのようなものだと。ガーミンの選手たちは正しいチームにいたんだ。ジョナサン・ヴォーターズは先見の明を持っている人物だし、彼らはあのチームにいて幸運だったんだ。

VN:こうした状況でキャリアが終わることはつらかった? それとも2012年のシーズンを「こんなことがありえるのか?」と思いながら過ごした?
LL:ありえるとわかっていたよ。あらゆることが崩れていくあの状況は理想的ではなかったけれど。僕は長いキャリアを持ち、他の選手たちと同様に一歩を踏み出してしまい、そしてルールをわかっていた。乗り越えるには難しいことだった。僕は決断を下した時、自分が何をしているかをわかっていたんだ。起こったことを受け入れなければならない。それだけだよ。

VN:ピーター・ステティナを例にあげるけど、若い選手と一緒にいるとき、自転車界でのドーピングが話題に上ったらそれをどう扱っている?
LL:率直に、正直に話すよ。隠すことはないんだ。彼がそれをしきりに話に持ち出すことはないけど、しかるべき時には、僕たちはそれについて語り合う。そうしたことすべてから僕が学んだことを伝えようとする、僕らがどうやって正当化したのかとかね、そして自分たちが犯した過ちについて認めるんだ。

VN:「自分たちが犯した過ち」と言ったけど、それは正確には何を意味する?
LL:僕が考えるに人々にとっては難しいことだと思う、このスポーツの歴史に残る本当に素晴らしいパフォーマンスを見たとき、疑ってしまうのは人として自然なことだ。若い選手たちといるとき、何か疑わしいことが起こっていると常に考えるなんてできないんだと彼らに諭している。そんなのはいずれ自分自身を滅入らせてしまう。現在のドーピングコントロールのあり方には、一切逃げ道などないと僕は考えている。人々は僕たちがやったことや辿った道で大騒ぎする必要はない。僕たちが素晴らしいパフォーマンスを目にしたとき、僕たちは何が起こっているのかをわかっていた、目に明らかで、そしてそれが自分自身を正当化するのに大いに役立ったというわけだ。
僕は若い選手たちをこうした落とし穴に落ちないようにしたい。疑うのは人間の本性だ。けれど今なお素晴らしいパフォーマンスを目にする機会があって、そしてこういうことが明らかになった現在、ファンや、あらゆる人、クリス・フルームだっていたるところで自分を弁護しなければならない。選手たちは少し軽蔑されるようになった。けれどピートのような若い選手を例に挙げれば、そうしたことであまり心配する必要がないように彼らを導こうと思っている。そうしたことを考え過ぎても、自分のベストを尽くすことには何の手助けにもならないからね。

VN:2012年のグラン・フォンドはUSADAのレポートが発表される直前に開催された。このイベントが君の名前を冠している以上、君は2013年度の開催を前にほぼ丸一年間を起こりうる反動に対して身構える必要があったということになる。それについてはどうだった?
LL:かつてこのイベントに参加したことのあるすべての人にメールを送ったし、個人的にも多くの反応に答えた。僕たちが発表したドキュメンタリーではそれについても少し触れているよ。今度出すドキュメンタリーではこの問題により焦点を当てている。一言で答えるには難しい質問だ。多くの人は協力的だったし、理解を示してくれた。彼らは寛大な人たちだと感じているし、僕は許しを請い、多くの人がそれに応えてくれた。それについては僕は幸運だと思う。
時が経つにつれて僕たちの観方は変わった。白か黒か、なんて物事は存在しないんだ―――問題はどれほどの関心を注ぐかで、それが自分の考える灰色の度合いを決めることになる。ほんのちょっとでも関心を払いたくないと思う人がいることは理解できる。関心を払う人たちは考えて、理解を示してくれたし、許してくれた。僕はいずれもっともっと物事が明白になって、自転車は、最後の最後には、ポジティブなものに変わると思っている、自転車競技はこの暗黒の時代を潜り抜けてより強くなって戻ってくるだろう。僕はこのことが僕をより良い人間にしてくれたと思うし、自転車競技にとってもそうだと思う。

VN:自分が話すべきことについて人々が聞きたがらないのは理解できると言っていたね。それならインタビューを受けてみた理由は? それについて話す気になったのは?
LL:こうしたことについて話す気になったのは、何らかのキャラクターを見せたいと僕たちが思っているからだと思う―――これについて信用できる立場であろうと、自分たちの行為について責任を受け持とうとしていると。こうしたことを聞きたがらない人たちがいることは知っているし、それはそれでいい、けれど寛大で理解を示してくれる人々もいて、彼らのおかげで僕たちはより誠実な姿勢を保つことができるんだ。

VN:フォンドは今後どのくらい拡大していくのかい? 今は七千五百人の参加者がいて、毎年満員御礼だね。
LL:このイベントを数で表そうとは思っていない。七千五百人で打ち止めだよ。最大の目的はこれを年ごとによりよくしていくことだ。このイベントの質を向上させていきたい。僕たちのいるコミュニティーと一緒に成し遂げるべき大きな筋書きがあるんだ。千人以上のボランティアが参加していて、自転車を愛する人々がいて、彼らはこのイベントが僕たちのコミュニティーに対してどんな意味があるかをわかっている。僕にとってこれは自分たちのいるコミュニティーを反映していて、セコイアの森を抜けて太平洋へと向かって走り切ることの意味が正しく評価されているということなんだ。世界中で一番自転車に乗るのに向いている土地の一つなんだ。
僕はこのスポーツを愛している、僕はソノマ郡を愛している、僕は北カリフォルニアを愛している、そして僕はこのフォンドで成し遂げたことに大いに誇りを抱いている。僕のチーム、バイク・モンキーの連中、カルロス・ペレスやグレッグ・フィッシャー、彼らがいることは僕にとってまったくの幸運で、彼らが僕を支えてくれて、素敵な物語を持つ本当に素晴らしいものを作り出してくれた。それが僕のモチベーションだ。
このフォンドでお金を儲けたことは一切ない。一銭だってこのイベントからは得ていない、このイベントを作り出して発信しようとするモチベーションはそこにはない。大事なことはそれじゃない。完全に純粋なコンセプトなんだ。僕はキャリアの早い段階でソノマ郡に移り住んで、ここが僕をより良い自転車乗りに鍛え上げてくれたと感じている―――道路、地理、コミュニティー、人々、友達、僕が求めていたのは……わかったんだ、これが、このイベントが、僕がこの物語を伝える方法だと、それがどんなものか、自分の気持ちがどうであれ、天気がどんなであろうと、毎日トレーニングに出ていく気力を与えてくれたものが何なのかをみんなに伝えるための方法なんだと。イベントを開いて人から金を巻き上げようなんてことじゃないんだ。そんなことは一切考えたことがない。

VN:これから五年間はどうするつもり?
LL:はっきりとした答えはない。どこかで決断を下す必要がある。僕は自転車競技を愛している、けれどどこかのチームに関わったりディレクターとしてプロ競技に関わることになるとは考えていない。僕はこのスポーツを愛している、だからどこかでお返しができるように、もしくはできるだけ償いができるように、隙間を見つけ出さないといけないだろう。

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