他称「しばき隊リンチ事件」がどうたらこうたらに関する見解

室井幸彦が私を訴えた裁判(終結済み)の書面をすべて公開しようと当初から考えていたが、プライバシー処理がめんどくさすぎることに加え、つまらない論点で膨大な量の低レベルな主張を繰り広げているために、いまいち作業がすすまなかった。

しかし最近、また鹿砦社がデマ本を発行したことによって「他称リンチ事件」の話題が盛り上がっているので、それに関連する部分だけでも公開しておくと、いろんな人の理解の助けになるのではないかと思い、取り急ぎその部分をアップする。

これは、訴訟の被告側第2準備書面で、「他称しばき隊リンチ事件」とこの訴訟が起きる背景について説明したもの。しかしそもそも、リンチ云々はこの訴訟にはもとより無関係な論点である。室井幸彦はこの無関係な論点を裁判所になんとか訴えたかったようだが、判決ではすべて却下されて終了している。一方で、私が主張したスラップとの主張についても、裁判所は却下した。

なお、文中の「暴行傷害事件はなんとしても組織的な性格を帯びたものでなければならず、現在室井および代理人はその証明に四苦八苦している最中であるといえる」については、室井が暴行事件の被告エル金と無関係な李信恵らを訴えた裁判でも、後に共謀の存在が地裁判決によって明白に否定された。

私としては、争点に無関係とはわかっていたものの、何かの機会に全体像を説明するのに役立つだろうと考え、公開を念頭においてこの準備書面を記述した。つまり、本の原稿を書くのと同じような意味で、第三者が読んでなるべくおもしろくなるように心がけている。

では、どうぞ(笑)。

※わかりやすくするために、原文では「原告」となっているところは「室井」に、「被告」となっているところは「野間」に変換している。


平成28年(ワ)第4998号 損害賠償等請求事件

原告 室井幸彦
被告 野間易通

大阪地方裁判所 第9民事部合議2係 御中

第2準備書面

2016年11月10日
野間易通(送達先)

第1 原告第二準備書面について

 すべて争う。書面を受け取ったのが11月7日午後であったためいまだ十分な検討を行えておらず、詳細は次回期日までに追って反論する。

第2 被告第一準備書面第6「本件の背景事情」について

 第一準備書面第6において「次回期日に詳述する」とした本件の背景事情について述べる。

(1) 総論

 本件訴訟は、プライバシー侵害や名誉毀損の不法行為を問うということにかこつけた、一種のスラップである。
 
(2) 本件提訴が行われた背景

 室井はこの訴訟が提起された当初、ツイッターで「私に対する名誉毀損およびプライバシー侵害につき、損害賠償請求の訴えを提起しました」と報告している(乙⑰号証)。しかしながら、実際の訴状には請求の原因としてプライバシー侵害は含まれていなかった。そのため室井は後日、第一準備書面第1の2の(2) において請求を追加した。

 このことは、室井本人は訴状をよく確認しておらず、この訴訟が代理人および弁護団主導で行われていたことを意味する。訴状自体は短く内容も稚拙であったため、とりたてて素人に難解な文ではなかった。しかも室井は法社会学を専門とする大学院生でいわば法学徒であるから訴状の内容を理解できないということはありえず、重要な請求の原因のひとつであるプライバシー侵害の記述がないことを見逃すとは考えられない。よって、室井自身は訴状の内容を全く読まずに訴訟に臨んだものと推察される。

 また訴状の内容は、野間のツイートから「室井」というワード検索でヒットするもの機械的にすべて抜き出し、「あ、こいつね」「そうだ、法学部でした」といった短文のツイートまで含めて「室井の社会的評価を低下させる」ものとしており、およそ法的にまともな検討を行ったとは思えないずさんなものであった。

 しかしながら、代理人の高島章によれば、これらは《大阪の弁護士2名と私(高島章)支援者数名により、綿密に対策を協議してき》たもので、本件提訴は《これらの協議を経た「第1弾」の法的措置》であるという(乙⑱号証)。

 代理人高島は、野間および野間周辺の反差別活動に従事する人々、およびときに野間や「レイシストをしばき隊」となんの関係もない人も含めて「しばき隊」「野間一派」「闇の勢力」と呼び、これらについて《「カウンター活動」「差別反対」「人権」という美名に装飾された人権侵害行為は目に余るものがあり、到底黙過できません。あえて強い言葉を使いますが、これらの人のやり方は、ファシズムでありスターリニズムです。微力ではありますが、私は、今後ともこれらのファシスト・スターリニストと対決する所存です》(乙⑲号証)としており、彼が訴訟代理人を受任する理由に、単に室井から依頼を受けたという以上の、ある種の政治的目的があることが明らかである。

 高島章は2015年夏ごろから、国会前で安保法制に対する大規模な抗議デモを行うSEALDsに反感を抱くようになり、やがて、その背後に野間をはじめとした複数の人間、多くは高島言うところの「しばき隊」の関係者によって構成される「闇の勢力」がいるという妄想にとりつかれるようになった。高島本人の弁によれば、《本年(註:2015年)10月ころから,私はSEALDs及びSEALDs防衛隊(あざらし防衛隊とも。私は「闇の勢力」と名づけました。私の見るところでは,レイシストしばき隊とほぼメンバーが重なり合っています。)を攻撃するツイートを継続的に行うようになりました》とのことである。

 こうしたなか、2014年末の暴行傷害事件(室井言うところの「リンチ事件」)をなんとか表沙汰にして糾弾したいと考える室井およびその支援者たちは、「敵の敵」の立ち位置にいる高島章に接近し、接触を持つようになった。そうしたなかで、本件訴訟が行われたのである。

 なお「しばき隊」の呼称であるが、これは「レイシストをしばき隊」に由来するものの、「レイシストをしばき隊」は2013年9月に解散して現在C.R.A.C.という後継組織に移行している。しかし、彼らが言う「しばき隊」とは、C.R.A.C.のメンバーというわけではない。カウンター運動およびその周辺の人々を指して漠然と「しばき隊」と呼んでいるにすぎず、その指し示す範囲は非常に恣意的である。

(3) 本件訴訟と鹿砦社の関係

 訴状の段階から代理人を務める橋本太地は西宮市の出版社・鹿砦社と深い関わりを持つ弁護士で、あるジャーナリストの裁判支援を通じて鹿砦社の記者である田所敏夫こと本名鹿野健一とも関係を持つ人物である。この田所こと鹿野は、鹿砦社の雑誌『紙の爆弾』やウェブサイト「デジタル鹿砦社通信」等において、野間および「しばき隊」を批判し続けてきた人物だ。なお鹿砦社は社長の松岡利康自身が雑誌『NO NUKES VOICE』や単行本で野間を批判しているが、これは松岡が首都圏反原発連合(以下、反原連)から絶縁されたことに起因するもので、いわばその逆恨み的なものとして野間や「しばき隊」を攻撃し続けているものである(野間は現在も反原連のメンバーである)。

(追記)この「絶縁」の背景としては、鹿砦社社長の松岡利康が、ある時期から「野間」への悪感情を理由に反原連に過剰に介入するようになり、いわば内政干渉とも言える行動を繰り返したことなどがある。「絶縁」は、こうした背景のもとに起こった。

 松岡が「しばき隊」やSEALDsに反感を持つようになったのも2015年の夏頃からで、先述の高島と共通するのは、反原連やSEALDsが中核派その他の新左翼組織とはっきりと距離をおいていたことに対する不満のようなものが原因にあったと思われる。

 鹿砦社から最近刊行された紙の爆弾増刊『ヘイトと暴力の連鎖』は、「反原連、SEALDS、しばき隊を撃つ」がキャッチコピーで、本件訴訟に登場する「リンチ事件」を中心に、おもに室井、代理人高島の主張をそのままなぞる形で野間および「しばき隊」を批判するものである。

(4) 室井および支援者と代理人たちとの関係

このように、本件訴訟について「綿密に対策を協議」した代理人たちにはそれぞれ、野間個人を攻撃する理由があったわけだが、それを利用しようとして彼らに近づき、支援を求めたのが室井およびその支援者たちである。

 代理人たちとその関係者にとって、室井言うところの「リンチ事件」は「野間一派」=「しばき隊」=「闇の勢力」を攻撃し、その原因をカウンター運動の体質や思想性(高島言うところのスターリニズム)に求め、そのなかで中心的な位置にいるとみなされている野間の責任を問うのに格好の材料であった。

 一方で、その暴行傷害事件の責任を加害者個人ではなく「運動」に求めたいという思惑が室井にはあった(乙⑤号証)。ここで両者の利害が一致し、他罰感情にかられてなんとかして野間を懲らしめようと画策した結果が本件訴訟である。

 しかしながら訴状の内容は上記説明の通りずさんなやっつけ仕事としか言いようがないもので、そのことはすなわち、本件訴訟が提訴それ自体を目的とし、野間に金銭的負担や時間的負担を強いる嫌がらせ的な性質のものであることを示している。これが、 冒頭 (1) において「一種のスラップである」とした意味である。

(5) 室井が「リンチ事件」と称する暴行傷害事件の評価を本件訴訟に持ち込む理由

 本件訴訟は直接的には、野間が室井のプライバシー侵害および名誉毀損、侮辱等の不法行為を問われているものであるが、本来の請求原因とは関係のない、「リンチの有無」について室井がしきりに問題にしているのは、上述したとおり本件訴訟のスラップ的性格に起因するものである。すなわち室井および代理人がこの訴訟を通して本当に問いたいものは、この暴行傷害事件の野間および運動体としての責任である。そのためには、この暴行傷害事件はなんとしても組織的な性格を帯びたものでなければならず、現在室井および代理人はその証明に四苦八苦している最中であるといえる。

 そのことは、室井第2準備書面の内容に、より一層よく表れている。一例として、室井はC.R.A.C. WEST の訴外伊藤健一郎が作成した「説明テンプレ」と「声かけリスト」という2つの文書の存在をもってして、それが野間の指揮命令系統のもとに作成されたものであり、よって組織的な隠蔽工作であったと主張する。

 しかし実際にはこの「説明テンプレ」と「声かけリスト」はいずれも野間が運営し伊藤も参加するC.R.A.C. のメーリング・リストに投稿されたことはなく、また野間個人に送信されたこともない。またその存在自体、訴外伊藤と野間の間で話題になったこともなかった。つまり野間は室井提出の甲32・33号証の写しを見て初めてその存在と内容を知ったのである。また内容を見るにつけ、そもそもそれは「隠蔽」のための文書ではなく、2ちゃんねる等の匿名掲示板に流布していた事件のでたらめな情報に対するカウンターとして、正確な情報を知り合いに周知する目的のものであった。

 もとより野間はこの暴行傷害事件の発生直後から加害者である訴外エル金および同席していた訴外凡からことの顛末の報告を電話で受け顛末を知っていたが、当初からこの暴行傷害事件を「個人のケンカ」「人間関係のいざこざ」としか捉えていない。電話による2人の報告では、室井を電話で呼び出し集団で暴行したといったような、後に世間に流布する事実は認められなかった。このことは、後に刑事裁判の過程によっても明らかとなる。

 報告を受けた際に野間が訴外エル金に伝えたのは「まず全面的に謝罪するように」ということと、「告訴しない等、謝罪に条件をつけてはいけない」という2点のみであった。第二準備書面において室井はこの点を取り上げ(甲35・36号証)「野間はエル金に指揮命令する立場にあった」と述べているが、これは暴行傷害事件の加害者への対応としてはごくごく常識的なもので、指揮命令系統といえるようなものではない。かつ、たとえば「告訴を避けるために謝罪せよ」といった不誠実な内容ではなく、謝罪はそれ自体何かの引き換えではなく誠実に行われるべきであるという考えを示したにすぎない。

 さらに、加害者が告訴されたいと考えていることは通常ありえず実際にエル金は謝罪文(甲23号証)を書いて示談交渉を始めたことから考えても「謝罪を告訴しないことの条件にしてはならない」というのはむしろ本人の意志に反することであって、この甲35・36号証は室井の言う「野間は暴行加害者の立場を代弁してきた」を反証する内容だと言える。

 実際には野間とエル金の間に個人的な連絡はほとんどなく、個人的にもC.R.A.C.としても、普段から彼に何かを指示、指揮命令することはない。
 
(6) 室井が「リンチ事件」と称する暴行傷害事件の概要
 ここまで述べてきたように、本件訴訟は実質的に、室井が「リンチ」と称する暴行傷害事件の評価をめぐってのものであると言える。そこで、請求原因には直接的に関係がないものの、この暴行傷害事件についての野間の評価をここでまとめて述べておく。

 この暴行傷害事件は、2014年12月17日深夜、大阪・北新地のバー店外でエル金が室井を殴打し、全治3週間のケガを負わせたというものである。現場にはエル金のほかに凡、バー店内にほか3名がいた。

 このことを室井および代理人・高島章は、「しばき隊によるリンチ事件」「いわゆる十三ベース事件」と称している。先述の通り、「しばき隊」は特定のグループを指すものではなく、カウンター運動をしている人間のうち任意の者を「闇の勢力」として名指したいときに恣意的に使われる呼称である。ちなみにエル金も凡も、実際に存在した「レイシストをしばき隊」のメンバーであったことはない。

 事件の後、年明け1月から加害者と室井の間では示談交渉が始まったがこれは決裂し、室井は加害者を告訴した。この結果、簡易裁判所によりエル金は傷害で罰金40万円、凡は暴行で罰金10万円の刑事罰を科された。ほかに李信恵も告訴の対象となったが、不起訴である。

 この刑事裁判の結果からは、エル金が主犯で凡が共犯の暴行事件のようにも見えるが、実際の様子はそうではなかったようである。

 というのも、凡の暴行はエル金の殴打を止める目的で、軽く室井の頬をはたいたというようなもので、およそ共謀して殴る蹴るの暴行を働いたというものではない。室井の認識としても、どちらかというと凡は「止めてくれた人」という認識であることが、室井の供述調書からもはっきりとわかるのである(乙⑳号証)。
 
(7) 室井が「リンチ事件」と称する暴行傷害事件に至る経緯 

 室井は以前からエル金と凡に対して悪感情を抱いており、たびたびトラブルを起こしていた。たとえば2014年11月2日には東京で、ネット上でのいさかいが原因で室井が凡の首を締めるという事件も起きている(乙㉑号証)。またエル金に対しても2014年の5月ごろから個人的な人間関係が原因で悪感情を抱くようになり、7月には完全に距離を置くようになった(乙㉒号証)。

 そんな折に、室井はネット上の右翼団体元構成員の書き込み(甲21・22号証)を見て、そこに書かれている「右翼(註:右翼団体を主宰していた竹井という人物)から50万円を受け取った人物」が、エル金ではないかと疑いを持ち、これを凡を含む複数の人間に吹聴した。

 室井はこれを噂の存在を知って懸念を表明しただけだとするが、実際には室井はフェイスブックのグループ・メッセージ上で《エル金と竹井、ズブズブに馴れ合ってるんじゃないかと思える》《エル金が竹井を守っているようにしか見えん》《エル金と竹井がつながってると考えると、辻褄の合う話が多すぎます》《「愛国矜持会の金です」って名乗ればいいんですよ》《知れば知るほどエル金が疑わしく思えてきます》《どう考えてもエル金は臭い》などと、ほぼ疑惑が真実であると断定する口調で、複数の第三者に向けてエル金を糾弾している(乙㉓号証 下記写真はその一部)。

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 なお、室井は後に天満警察署作成の供述調書において「私は金が在特会側の人間から金を受け取っているのではないかという話は凡にしかしていなかった」と、嘘の供述をしている。

 このようななかで、室井がエル金に疑いをかけているという話、すなわちエル金が右翼からカネを受け取っている可能性があるという話が、プライベートなグループ・メッセージを越えて外に広がり、多くの人が知るところとなった。野間の言う「(室井は)デマをも活用し気に入らない人物を貶めようとそのデマを吹聴した」は、これらのことを指す。

 十三で飲食店「あらい商店」を経営する訴外パク・ミニョンもそうした情報を得た人物の一人であった。この飲食店は関西においてカウンター運動に参加する人たちがよく利用する店であり、室井もその常連の一人であった。この話を聞いたパクは「金の人格を貶め、その人格をも否定する悪質な発言」だと思い、「よりにもよって皆の風よけのように苦労していた在日当事者に対して、ようもそんなこと言えたもんやな」と悔しい思いをしたと語っている(乙⑪号証)。そこでパクは室井に、エル金に対して謝るように促す電話をかけている。

 なお、件の暴行傷害事件を「リンチ」と称し、かつての連合赤軍による山岳ベース事件になぞらえて「十三ベース事件」とネット等で命名されるようになったのは、カウンターのたまり場であったこのあらい商店で暴行が行われたかのような印象を世間に与えるためである。実際の現場は十三のあらい商店とはなんの関係もない北新地のバーであり、パクは単に店で接客中にこの話を聞いて室井に電話をしただけであるが、暴行事件とこの店を結びつけるネットの書き込み等により、店は風評被害やいたずら電話などの被害を受けることになった。この店が暴行傷害事件と無関係だと知っているにもかかわらず、室井代理人の高島章は「十三ベース事件」という言葉を現在もことさらに使いつづけ(乙⑯号証)、あろうことかあらい商店の前で撮影した自分の写真をネットにアップロードするなど(乙㉔号証)、その行為は陰険で悪質極まりないといえる。 

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 あらい商店でパクがこの噂の存在を知った直後、2014年12月16日の深夜に室井は凡に電話をかけ、謝罪したい旨申し出た。そのときちょうど別件でエル金、凡、李信恵その他全部で5名のカウンター運動に携わる人間が、別件で北新地のバーに集まっていたところであったため、凡はその場に来るように促し、日付が変わってから室井は現場に到着した。ここでいったんは席について話し合いが始まったが、話はこじれ、激昂したエル金が室井を殴打する暴行傷害事件が発生したのである。

 いくら怒ったからといって何発もケガをするほど殴打したことは、それ自体許されないことであり、この暴行の責が室井に帰するとは野間も考えていない。だからこそ事件直後、野間は加害者のエル金に即座に全面的に謝罪すること、告訴されることも視野に入れることなどを伝えたのである。

(8) 暴行事件その後

 この事件の経緯が個人的な人間関係のトラブルによるものであること、また、相手は対抗すべき差別主義者ではなくカウンター運動内部の人間であったことから、野間は事件にはノータッチのスタンスを取ることにした。ことさらに解決のために積極的に交渉に介入もしないが、事件が公になるのを食い止めることもしないというスタンスである。

 ただし、これは野間が日本社会においてマジョリティに属する日本人であり、なおかつ大阪のカウンター運動とは人脈的にもたいしたつながりがないから取れるスタンスであって、地元の在日社会ではそういうわけにはいかなかった。

 室井とエル金との示談交渉は、地元の在日社会が仲立ちしたが、在日社会はできるだけことが公にならないような方向で動いたことは間違いがない。なぜなら、こうした一部の人間の不祥事によって、「だから在日は暴力的である」といった民族差別的風潮を招き寄せてしまうことは過去の経験から明らかであったし、そのことに対する恐怖もあったであろうことは容易に想像できるからである。野間はエル金が自分の暴行事件によって告訴されてもなんのダメージも受けないが、在日社会はそうではないのである。また、相手はそもそもレイシストや右翼排外主義者ではなく、これまで一緒にカウンター運動を担ってきた人物であることも、できるだけ穏便にことを処理したい理由のひとつであったと思われる。

 室井は、野間がこの事件を「隠蔽」して「カウンター運動を守」ろうとしてきたと主張するが、単に私人間の争いに介入せず当事者同士の示談交渉、あるいは司法による解決を見守ったにすぎず、野間が直接関係していない事件について公の場で言及しなかったからといって、それを「隠蔽」とすることは無理筋である。