“「ハマる能力」は親が育てるものじゃないって言う人、さかなクンが開館から閉館までタコの水槽の前から動かなかった時、自分が親ならずっと黙っていられた?黙って水族館にいる魚が載ってる下敷きを買ってきてさりげなく渡せる?多分殆どの親が「ほら、行くよ!」って言うと思うんだよね。”
Source: twitter.com
hnjxmks reblogged
“人には、 0を1にするのが得意な人 1を100にするのが得意な人 100を100のままキープするのが得意な人 -100を0に戻すのが得意な人がいる これらの人は活躍できるフィールドが違うから、不得意なフィールドで活躍できなかったからと言って無能というわけではない”
— GRTNさんのツイート (via dekoi2501post)
Source: twitter.com
hnjxmks reblogged
“精神科の医師に「人に腹が立つときは、どうしたら良いですか」と聞いたら『他人にイライラするのは、自分はできるのに、なぜ、この人はやらないのか、と感じるから。それは人より得意なことなんです』と言われ【 怒りの感情は “ 学びになる ” と自分に伝える 】ことを覚えてから、人生ほんと楽になった”
Source: twitter.com
hnjxmks reblogged
“* 人を動かす三原則 o 批判も非難もしない。苦情もいわない。 o 卒直で、誠実な評価を与える。 o 強い欲求を起こさせる * 人に好かれる六原則 o 誠実な関心を寄せる。 o 笑顔で接する。 o 名前は、当人にとって、最も快い、最も大切な響きを持つことばであることを忘れない。 o 聞き手にまわる。 o 相手の関心を見抜いて話題にする。 o 重要感を与える―誠意をこめて。 * 人を説得する十二原則 o 議論に勝つ唯一の方法として議論を避ける。 o 相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。 o 自分の誤りをただちにこころよく認める。 o おだやかに話す。 o 相手が即座に’イエス’と答える問題を選ぶ。 o 相手にしゃべらせる。 o 相手に思いつかせる。 o 人の身になる。 o 相手の考えや希望に対して同情を持つ。 o 人の美しい心情に呼びかける。 o 演出を考える。 o 対抗意識を刺激する。 * 人を変える九原則 o まずほめる。 o 遠まわしに注意を与える。 o まず自分の誤りを話した後、相手に注意を与える。 o 命令をせず、意見を求める。 o 顔を立てる。 o わずかなことでも、すべて、惜しみなく、心からほめる。 o 期待をかける。 o 激励して、能力に自信を持たせる。 o 喜んで協力させる。”
— 人を動かす - Wikipedia (via tessar) (via hustler4life) (via yaruo, dot) (via gkojay) (via gkojay)
hnjxmks reblogged
“「グレーであることに留まるには知性がいるんだよ。教養って言ってもいいかもしれない。どっちつかず、答えが出ない、これに耐えられないんだよ。でも、人間ってのはグレーでしょ?いいとこばかりで構成されてない。矛盾だらけ。」って言った人の知性にうっとりしてる、今。”
Source: twitter.com
hnjxmks reblogged
自己認識と他己認識は違う。
否定はしないが拒否はする。
---
ブランド,ジェンダー,LGBTQ,イメージ,レッテル,ラベル,形容詞
体の性別、心の性別
---
続き
女性の定義を女性らしさにすれ違う
hnjxmks reblogged
“あああー!完璧主義に陥るのは「強いこだわりがあるから」というより「どこが重要か分からないから手当たり次第」ってときが多いんだよな!本当に強いこだわりを持てているなら、最も力を注ぐべき重要部分がわかってるので完璧主義に陥らないんだ。完璧主義を自己正当化したくなったら、これ思い出そ”
— Burning!ボットさんのツイート (via titantethys)
Source: twitter.com
高校生の頃、家庭科の先生が「お金が無くなったら卵を食べなさい。卵とご飯、それにビタミンがあれば生きていけます。」と教えてくれた。実際、卵はビタミンCと食物繊維以外はすべてを含んでいる。言っている事は完全に正しい。本物の授業だった。
“なぜ俺たちが映画やマンガの「伏線回収」を喜ぶかというと、たぶん、人生に意味があるかもしれないと感じさせてくれるからだ。日常で目にする何てことない出来事の1つひとつが、もしかしたら、将来すごく大きな意味を持つかもしれない。そう感じさせてくれるからだ。”
— Rootport 𝄇 / Twitter (via y-kasa)
hnjxmks reblogged
“大学院で学んで1番役に立ってるのは、他人に乞われてないのに教えない、教えたとしてその通りにやってなくてもなんの感情も持たないこと。”
Source: twitter.com
hnjxmks reblogged
“「ほめる」よりも何よりも「驚く」は伸びる、と私は考えている。「ほめる」は、たとえ「結果」ではなく「プロセス」をほめたとしても、外面的に起きた現象(机に向かっていたとか)に着目しがち。そのために、勉強してるフリ、机に向かってるフリ、プロセスを頑張ってるフリを誘発しやすい。 「能動性に驚く」は、外目の形に一切囚われず、本人の中に能動性が現れた奇跡に驚く。現れないのがデフォルトだから、もし現れなければなんとも言わない。ただ、祈るような気持で待っていると、ふとした拍子に能動性が現れる。その奇跡に驚くと、能動性が生まれる確率がどうしたわけか高まる。 それは恐らく、人間は「驚かす」のが大好きだからだろう。自分の能動性で驚く人が入ることに気がついたとき、嬉しいから能動性が発生しやすくなる。 でも基本、「驚く」のは待ちの状態。待たずに引っ張り上げようとしたら、それは能動性ではなく受動性になってしまう。”
Source: note.com
“「嫌だと思ったら、すぐやめなさい。面倒くさいと思ったら、もう少し続けなさい」 これはほんとに。生理的に瞬間的に無理だなって思ったことで、続けてプラスになった経験はあんまりない。むしろマイナス。けど、ちょっと面倒だなって思ったことは、続けることでプラスになることが多い。”
—
(via
)
本当のこと。
(via
)
Source: twitter.com
“人間は、蓄積がモノを言う。 その道10年の奴と、今期から手を出しました、では勝負にならない。 新卒と、ベテランに同じ戦力は求めない。 歩いてきた道は嘘をつかないし、知っている道は早足で抜けることが出来る。落ちた落とし穴は2度目以降は警戒する。 これは、「貯めてる奴が、貯めてる分野では強い」という当たり前の話であって、じゃあ若者は勝負にならないかというとそういう話ではない。「貯める気がある奴が強い」 若者だろうが、今まで蓄積が無かろうが「貯める気があればどこまでも蓄積されていく」。 教える側からすれば、 貯める気のある奴には、突っ込んでモノを教えるし、考え方を教える。 貯める気の無い奴には、近道と結果だけを出す方法しか教えない。 教える方だってコストが高いんだから、蓄積する気の無い奴を相手にしてられないわけだ。 教えてもらう側もこれは一緒だ。 教えてもらう側になった時は「蓄積する気がある/ない」を明確にするのがいい。 蓄積する必要がなければ、単純な手順だけ覚えてショートカットすればいい。 蓄積する必要があれば、仕組みと考え方を理解しないといけない。 それが明確なら教える方のコストだって明確だ。覚える気のない相手に、懇切丁寧に教える必要もなくなる。(大事な事なので角度を変えて2回書きました) 世の中の、やる事、やれる事の量はもう、とんでもないので。 すべてを覚える事は不可能だ。 ただし、何かをやろうとしたら、自分が出来ない事を出来る人の世話には必ずなる。 自分にない蓄積をしている人はリスペクトしたい。”
—
思わず全文引用。 いろいろ同意。
(via tatsukii) dsbd
2011-02-06
(via hetmek)
“本を読んで得られるのが“知識”で、“知識”が増えると話せる量が増えるでしょ。で、その“知識”を使って何をしゃべるかが“知性”であって、逆に何をしゃべらないかが“品性”だと思うの。例えば、知ってるからってベラベラなんでもしゃべるのは品がない。つまり、その“知性”と“品性”を両方兼ね備えた人こそが、“教養”のある人なんじゃないかと”
— スピードワゴン 小沢一敬(2019年07月12日 WEB ザテレビジョンより) https://thetv.jp/news/detail/196577/
hnjxmks reblogged
“たとえば、恐山では、お経を印刷した台紙の上に和紙を置き、これを筆ペンでなぞるという、簡略化した作法で写経していただきます。 これを実際にやっていただくと、皆さん非常に真剣に、一生懸命取り組まれます。いわゆる「集中している」状態です。これがどうして「スッキリ」感になるのでしょう。 私が思うに、写経が「自由」を奪っているからです。 写経は、することもその手順も、あらかじめ完全に決まっています。それをする者は、決められたとおりに行うだけで、選択の余地がありません。選択可能性が「自由」の内実だとするなら、「自由」の余地がないのです。 選択するということは、迷うことです。迷うこととは考えることです。つまり、自由であるためには、迷い考えるストレスを精神的コストとして受忍する覚悟がいるのです。ということは、「自由」を奪われることは、同時にストレスからの解放を意味するわけです。 写経の「集中」は、この解放を可能にします。それが「体は疲れたけれど気持ちはスッキリ」に通じるのでしょう。道元禅師が坐禅について言う「万事を休息する」ことの意味に、この「スッキリ」も含まれていると、私は思います。 私は政治的社会的「自由」を尊重すべきものと考える立場ですが、その「自由」を維持するためには、「自由」のストレスを緩和しなければなりません。このストレスが溜まりに溜まると、「自由からの逃走」(という題名の有名な本があります)的事態になりかねません。 そうならないために重要なのは、自らの選択として「不自由」を選び、自らの選択として「不自由」を解除できることです。いわば、「自由であるために不自由であることの自由」を確保すべきでしょう。 この矛盾に満ちた在り様は、結局、自らの選択で生まれてきたわけではない、つまり原理的に不自由な存在が、それでも自由であろうとすることの、切ない意志の宿命でしょう。”
— 恐山あれこれ日記: 自由のための不自由 (via tamejirou)
“Attitude is a choice. Happiness is a choice. Optimism is a choice. Kindness is a choice. Giving is a choice. Respect is a choice. Whatever choice you make makes you. Choose wisely.”
— Roy T. Bennett, The Light in the Heart (via suspend)