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「夢のはじまり」について

先日、雨宮天さんのライブにお邪魔させていただいた。端的ながら感想を残しておきたい。

雨宮さんを観たのは本当に久しぶりだった。最後に見たのが多分『アカメが斬る!』の日本橋試写会だから、2年ほど経つだろうか。僕はミュージックレイン2期生に対しては少し距離があって、作品やラジオには接しつつ、イベントやライブにはあまり足を運んだことが無かった。

だから、印象論でのお話になる。個々の歌や正確なMC等々については、より多くをきちんと書き残している方がたくさんいらっしゃるので、そちらをご参照頂きたい。

ステージを観て、びっくりした。僕の知る「雨宮天」象とは、あまりにもかけ離れていたからだ。

雨宮さんというと、作中や作品イベントの席では、割ときちんとした人。TrySailの三人の中では、割と変態的な面を見せつつも冷静なツッコミ役。そんな印象がある。じゃれているようなときもどこか役に徹している、そんな印象が強い。それは彼女のブログを読んでいく中にもよく表れていると思う。型に嵌めて、そこに徹する。ちょっと職人っぽいところのある人だなと感じていた。

ステージで観た彼女の姿は、とても素直な等身大の女の子だった。

だから驚いた。それは、上記したような様々な場で彼女が見せてきた姿とは、あまりにも違う。

特にMCで喋っている姿にそれは顕著だ。楽しいと感じたら「楽しい」と言い、緊張があれば「緊張している」と言う。それは、言葉としては拙い部分もあり、けれど、だからこそ、等身大のひとりの女の子としての彼女の姿を映していたように思う。序盤で上手く話せなくなって、わたわたしつつも「でも楽しい!!」みたいな事を話すくだりでは、「気持ちが先走っているのかな」と思ったりもしたけれど、それは歳相応の姿でもあり、逆にそういう部分がきちんと出せること自体に、彼女の成長、というか、意識の変化が表れていたようにも思う。

MCを見ている限り「若いなー」という感覚。しかし歌に移ればその拙さは一転、堂々たるプロのステージである。個々の歌については詳しくないので割愛するが、パキッとしたクリアで解像度が高く、芯があり下から上までよく伸びる彼女の歌声は、歌手としてのひとつの理想形なのではないかと思う。不思議に感じたのはその声質で、少し温度感が低く明瞭な彼女の声は、何故か直感的に「青」だなと感じた。うまく説明できないけれど、たまに声が色みたいに見えることがあって(頻繁ではなくて、とても限られた時だけの話)、その多くは黄色なのだけど、彼女の場合は「青」だった。青と言っても様々あるけれど、僕が感じたのは空の色。それも、対流圏と成層圏の間、大気の中でも最も気温の低い世界に広がる青だ。宮沢賢治的な色といっても良いかも知れない。

彼女は青という色が好きだということを常々言っていて、今回のライブの中でもあらゆる点で徹底的に青にこだわっていた。青にまみれていると嬉しいらしい。MCでも「青が沢山あって嬉しい」というような事を言っていた。分からないけれど、そういう、彼女の「青が好き」という話は、寧ろ彼女自身が元々「青」的な人で、だから、自身に近い色である「青」を好むのかな、みたいなことを少しだけ考えた。

MCの話に戻りたい。

彼女は元々ネガティブっ気を前面に出しがちな人だったと思うけれど、それは冗談っぽく表現されつつも、より深い部分における彼女の本心なのかなと思う。ネガティブな人には2種類あって、ひとつはネガティブな部分を隠そうとするタイプ、もうひとつは逆にネガティブな部分を前面に出してしまうことによって、自身の中でそれを克服してしまおうとするタイプ。雨宮さんは後者なのではないかと僕は常々思っていた。ブログの時々ひねたような、ぶっきらぼうな言い草に、そういう面が顕著に表れているように感じた。

雨宮さんの文章は、個性的である、ということは間違いないだろう。文章フォーマットもそうだし、やれ料理がおいしそうに撮れないだの、特にあげるものが無いので肉の写真だの、書くこともないので近況だの、そういったことはどうでもいいですね、だの。なんというか、ひねている。そういう部分が面白さにも繋がっているので難しいところだけれど、ひねている、ということは彼女の文章の中では外すことのできない特徴だろうと思う。彼女の文章を読んでいると、僕は「この子は自分を素直に出すのがすごく苦手なんだろうな」と感じてしまっていた。

けれど、時々そうではない文章を目にすることがあった。「!!」の多い文章、といえば伝わるだろうか。その多くはイベントやライブの感想の記事に表れていた。そんな日の彼女のブログは、とにかく「楽しかった!!」という言葉に溢れていた。普段の文章とは全然違うので、随分と面食らったりもした。けれど、そういう文章には、彼女のあふれ出るような素直な気持ちが書かれていたように思うし、そうしたことを通して、彼女自身の中で「苦手」とされる、自身を素直に出してゆく事、を実践しようとしているかのようにも見えた。

この日のMCの中で特に印象的だった言葉がある。

「色んなことに挑戦させてもらう中で、すごく、不安だったり怖い事とかも沢山あって、でも、やってみたらとても楽しくて」「怖い、を楽しい、に変えてくれたのは、皆さんです」正確ではないかも知れないけれど、確かそんなような言葉だ。

この言葉に、それまで彼女が書いてきた文章の中の二通りの彼女、その両面が表れていたように僕は思う。臆病な自分、けれどそれを乗り越えたいとも思っている自分。楽しかったことが嬉しい自分、それが周りの人たちのおかげだから、だからこそ素直にその気持ちを表わせるし、素直に表すことで、きちんと相手に伝えたい。そう思う自分。そのどちらもがこの一連の話の中に表れていて、僕はずっと疑問だった、「何故ブログの中の彼女には2種類の人がいるのか」という事に対して、一つの答えを得たような気がした。

初のソロライブを通じて、彼女が自身のネガティブさを克服できたかといえば、そうではない、と思う。何の曲だったか、一番最後かな。歌う際に、彼女が衣装の裾をきゅっと握っていたことが忘れられずにいる。越えられてはいないけれど、越えたい、と彼女自身は思っているのだろう。けれど、そうしながらも彼女は笑っていた。怖いけど楽しい、という事も実際あっただろうし、怖いけど、それを越えて何かを伝えたい、と思っているのかなとも感じた。怖いと思うのは、当然だと思う。20代の初めくらいの歳で、大人に混じってプロとしての大役をこなしたり、数千人の前に立ってパフォーマンスをするなんて、僕には想像もできない。そんな簡単に乗り越えられる事でもないと思う。けれど、乗り越えたいという意志が、彼女自身の中に、また彼女が周りの誰かに対して思う気持ちの中に在り続けるなら、いつかそれは乗り越えられることだと僕は思う。

そういう意味で、今回ライブを見せていただいて、個人的には雨宮さんについてすごく色々納得できることが多かった。けれど、びっくりしたこともある。それは、「これからなんです」という彼女の言葉で。

ソロデビューから約2年、歌い続けてきたものがアルバムという形になり、それを携えてお客さんの前でステージを披露する。それは、アーティスト活動としてはひとつのゴールだと僕は思っていた。けれど、彼女はそうではないと言っていた。今回のライブは今日で最後で、でもひとつひとつの歌とはまだ出会ったばかりなんだと。これから、もっともっとこの歌達を私の歌にしてゆくんだと。そんなことを言っていた。

目から鱗みたいな気持ちだった。そうだよなあ、これで終わりじゃないもんなあ。正直「これが若さかー…」と思ってしまった事をご容赦頂きたい。彼女の目指すところはずっとずっと先にあって、今回のステージの思い出やひとつひとつの曲を、そこまで携えていくつもりなんだろうなあと思った。彼女にとって、この初のソロステージの終わりは、その先にある彼女の夢に向かうスタート地点なのだ。それはなんというか、眩しく強い、彼女の意志であると思う。

色々考えてみて。怖くても、曲げない。それが、僕が雨宮さんの歌声に感じる「青」の正体かなと少し思う。空が青い理由って知ってますか?青は波長が短く、直進性が高いからなんです。(厳密にはそれだけではなくて、直進性が高いから大気中のホコリ等により散乱しやすい、ということ等様々な理由があるのだけど、興味のある方は調べてみてほしい。)まっすぐだと、ぶつかることもある。けれど別にそれで良いのではないかと思う。そのまっすぐな想いを、きちんと受け止めてくれる人たちがいるのだから。そのまっすぐな光が、ぶつかりながら広がりながら、空を青く照らしている。そんなことを、この日ステージを観ていて感じた。彼女の周りにいる人たちを、ちょっとうらやましくも思う。

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