妖怪は何を食べるの? 第七回大阪文フリ新刊のサンプルです。 表紙絵はもしおさんが描いてくれました。感謝! B6サイズの小説本になります。

サンプル↓

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 ムジナは困惑していた。

「……おい、面倒くさいことになってねえか」

 困惑するムジナの足元には少女が一人、地面に転がっている。  少女が身に着けているのは古ぼけた薄手の小袖、破れた草履。細い手足は荒縄で縛られて、物のように転がされているのだ。  年は恐らく、10にもなっていないだろう。 (……人間ってのは、年がよくわからんな)  ムジナは片目を細めて、少女を見る。  すると、彼女はまっすぐにムジナを見上げた。  輝くように大きな目だ。  しかし、奇妙だ。  ……よく見れば、両目の色が異なるのだ。  右は漆黒、左は緑がかった不思議な金色。  たとえばそれは、雨の降る直前の月の灯りによく似ている。ああ、雨が降るぞ。と、思わせるような月の色である。  その目が、じいっとムジナを見つめるのだ。  娘の顔に怯える様子はない。ムジナが睨み返せば、彼女はにこりと微笑んだ。  その自信に満ちた微笑みに、ムジナの尾が思わず地面に垂れた。自慢の毛が、水を吸い上げ背筋がぞうっと凍る。  そうだ、昨日から降り続いた雨のせいで、地面は濡れている。その上に、少女は転がされ……その姿のまま、微笑んでいる。  気味が悪い、とムジナは思った。 「おい。もしかしてこれ、生きてるのか?」 「当たり前じゃないの」  にょろりと生ぬるい風がムジナの首筋を撫でた。  振り返れば、蛇のような細長い物がムジナの体に巻き付いている。  生白く光るそれは、乙女の柔首。長い長いその首の先に、小奇麗な女の顔がついていた。  ちょっと色っぽい紅のぽってり唇が、ムジナの耳を舐めるように通り過ぎ、ムジナの首に自身の首を絡めるのだ。  それは、ろくろ首である。  彼女の体は少し離れた場所にきちんと座り、壊れた三味線なんぞを小粋に弾いている。 「あんたが何とかおしよ、ムジナの大将。まずはほら、誰かこの子を起こしてあげな。可愛そうだろ、こんな濡れた地面に転がしたままでさ」  周囲は陰気に湿気って、心地のよい空気が広がっている。  ここは古ぼけた墓地だった。深夜、月もない夜だというのに、そこには有象無象の影が見える。  女郎姿のろくろ首、しっぽの割れた猫又、瞬きもしない一つ目小僧、足のない女、勢いの足りない火車に、骨の砕けたガシャドクロ。  時刻は丑三つ時を少し過ぎたばかりか。風もない、音もない、命もなければ、泥とカビの匂いしかしない。ムジナにとっては心地の良い空間だ。

 ……そこは、妖怪の園だった。

 ムジナは大きな尾で水を払って胸を張る。  月明かりが心地よくのびてムジナの体を照らせば、地面に巨大なタヌキの影が生まれた。  彼はその名の通り、大狸だ。 尾の立派さは同族の追随を許さない。腹の大きさ、金玉袋の立派さ、度量の広さも全て一級。  ムジナは、数百年生き続けている妖怪であり物の怪である。  体に纏う古びた袈裟は、死んだ僧侶から奪ったもので、死人の匂いが服から香り立つ。 「あー……じゃあ、まあ……とりあえず、縄を誰か解いてやれ。うっかり腕を切り落とさないようにな」  ろくろ首の婀娜っぽい目に負けてムジナが面倒臭そうにそう言えば、一つ目小僧が飛ぶように少女のもとに駆けつけて、恐る恐る縄を解く。  動けるようになっても、彼女はぼうっとムジナを見上げるばかり。  おおよそ人間というものは、妖怪を見れば悲鳴をあげるか逃げ出すものだ。こんな小さな娘なら泣いて気を失うことだってあるだろう。  しかしこの娘、今まで一度も怖がる顔ひとつ見せない。

「ごめんよぉ」

 妖怪たちの影に隠れていた猫又が、困ったように泣き言を言う。  顔にはほっかむり、二本の足で立ち、体には鯉模様の着物を纏っている。そんな洒落っ気のある見た目のくせに、猫又はべそべそ泣き顔だ。 「俺の脅しがきつすぎたのかなあ。ムジナのいうとおりにさ、村に行って言ってやったんだ。あの墓場の奥にゃ、化け物がいる。怒りを鎮めるために小さな娘を生贄にだせ。化け物が娘を食いたがってる……ってな。そう言ってやった時、たしかに村人たちは皆、怯えて困った顔をしていたのさ。まさか、こんなに早く娘を出してくるなんざ、夢にも思わないよ」  見た目こそ恐ろしいが、存外泣き虫な猫又は、ほろほろと嘆きながら二股の尾を振る。  娘はその尾が面白いのか、笑い声をあげて捕まえようとした。  とんでもない娘である。そんな娘の呑気な声だけが、陰鬱で心地よい墓地に不気味に響く。 「人間ってのは、あれだな、情がないんだよ……俺だったらこんな小さな娘、可愛そうで生贄になんざ出せやしないよ」  猫又の泣き言を、ムジナは無視する。不機嫌さを隠しもせずに尾を打ち鳴らし耳を伏せ、長いため息をついて頭を掻いた。  ムジナの体からノミがピンと跳ね、月明かりの中に消えていく。   妖怪の村も、人間から見ればこのノミくらいの小さな存在だろう。  ムジナはノミを指先で摘んで口の中で噛み砕き、苦い顔で娘を睨む。 「……俺の計画が失敗した、それだけのことだ。お前が気にすることはないさ」

 妖怪の世界は今、人間によって壊滅させられつつある。  ムジナたちが寄り添って生きてけるのも、この『墓地』という安住の地を得たおかげだ。  この墓地は、寒村のすぐ裏にある。  年貢で根こそぎやられた村は貧しい。加えて流行病のせいで、人がどたばた死んだ。  今残っているのは、枯れた田畑でほそぼそと仕事をする年寄りばかり。  この村の庄屋は随分と歪んだ性根を持っているようで、よく怒鳴り声が聞こえてくる。  そして、月に数度は不審な死体が庄屋の家から川に向かって投げ捨てられた。  そんな村の墓地などお察しの通り。積み上げた石は崩れ、骨がむき出しで転がる程度の荒れ具合。  ここにムジナたちが流れ着いたのは数ヶ月も前のことだ。  人間の目を避け放浪を続けていたムジナたちは、ひと目見てこの場所を気に入った。 まず、じめじめと陰気くさいのがいい。第二に、人の気配が全くしないのがもっといい。  この場所を守り抜くために重要なことは、とにかくこの場所に、人間を近づかせないことだ。 人が妖怪を目にすれば、大騒ぎをする。怯えてくれるだけなら良いのだが、やがて人間は妖怪を討伐しようとする。つまり、戦いとなる。  人間と妖怪が戦えば、大体妖怪に負けがこむ。  この地を恒久的に手に入れるため、ムジナは一つの計画をたてた。  まず、村で妖怪による怪異現象をいくつも起こす。そして存分に人間を怯えさせたあと、言うのだ。

『外れにある墓地に、化け物が暮らしている。人間の娘を一人生贄に出せ。出さねば村を食い尽くすと言っている』

 ……と。  江戸市中の人間ならともかく、貧しい山村には素直な人間が多い。それにこの寒村は、年寄りと病人しかいない。  物語のように、腕っぷしのつよい武士だとか、修行中の豪傑がおっとり刀で向かってくることも、そうあるまい。  彼らはころりと騙される。「娘を生贄になど出せぬ」と泣くだろう。  そこで出番となるのが、ろくろ首の扮する女修行僧である。彼女は村人の依頼を受けて、墓地へとやってくる。  彼女がえいやと唱えれば、物の怪たちは光となって消えていく……ただし封印しただけだ。ここに小さな鳥居でも立てて祀らねば、妖怪はまた復活する。

 ゆめゆめ墓地の中を荒らさぬように、近づかぬように、時折供え物を持ってくるように。

 ……そんなふうに彼女が言えば、村人たちは感謝感激。ぜひともそうしましょうと、鳥居か仏像の一つでも作って未来永劫、この墓地はムジナたちのものとなる……そのはずだった。  この計画をたてたのはムジナだ。かつて養父からそんな話を聞いたことがあった。その栄光再びと、ろくに考えもせずに計画を立てたのがそもそもの間違いであったのかもしれぬ。  今宵、深夜過ぎ。  月が天高くに上がった頃、この娘が墓地の入り口に捨てられていた。 (まさか、本物の娘が送られてくるなんざ……)  ムジナはじっと娘を見る。娘はやはり怯える色も見せない。  その目が不気味で仕方なく、ムジナは目をそらす。しかし娘は回り込んで、ムジナを見つめる。  異なる色の両の目は、夜の闇でもよく輝く。  彼女は、自分よりもずっと大きなムジナにぐいと近づき顔を見上げるのだ。 「あー……俺たちは妖怪だが」  ムジナは尻の毛を掻きながら、娘に問う。 「お前さん、俺たちが怖くはないのか?」 「……」  娘は感情が欠落しているのか、それとも怯えて声もでないのか。  娘が纏うのはいかにも貧しそうな着物。むき出しの素足には縄目の跡。それを見たムジナはため息をつく。 「どうしようもなく面倒な話じゃねえか。俺は、面倒は嫌いなんだ」  娘から、面倒な香りがするのだ。こんな時の直感はよく当たる。  かかわり合いにならぬ方が、利口というものだ。  ムジナは毛深い手をふりふり、背を向けた。 「こんなお嬢ちゃん、うちでは飼えん。誰かもとの村に放ってこい」 「……ねえ」  娘がようやく、声を出した。しかし悲鳴ではない。ムジナを呼ぶような、甘えた声だ。  しかしムジナは聞こえないふりをする。 「はいはい、おしまい。おい、誰か捨ててこい」 「ねえ……」 「怪我なんてさせるなよ、後で面倒なことになる……早くどっかに捨ててこい」 「ねえ、ねえねえ」  執拗な娘の声を無視しようとしたムジナだが、一歩進んで頭を抑える。  立ち上がったムジナの尾を、少女が掴んだのだ。 つんのめり、転びかけるのをムジナは寸でのところでなんとかとどめた。 「何しやがる……っ」  しかし娘は不気味な瞳でムジナを見つめ、怯えることさえしない。人間くさい香りが鼻をつき、ムジナは顔をそらした。 「人間臭い。さわるな、近づくな」 「ねえ、ねえ、ねえ」 「うるさい」  ……人間は嫌いだ。  特に、このような子供は一番嫌いだった。 「首根っこを引っこ抜かれたいのか」  少女の手を乱雑に振り払い、ムジナは眉を寄せる。しかし、少女は怯えない。  そして、言った。

「……妖怪はなにをたべるの?」

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