角岡伸彦 五十の手習い

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かなりおかしい杉田水脈 <上>

『新潮45』の8月号に掲載された「『LGBT』支援の度が過ぎる」(杉田水脈) は、朝日新聞批判にかこつけた同性愛嫌悪が如実に出た文章だった。

 翌8月号の特集 「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」 で、小川榮太郎らが杉田を擁護したが、その内容が杉田論文に輪をかけて酷かったため、廃刊(休刊に非ず)に至ったことは、周知の事実である。

 雑誌の廃刊が決まったころ、たまたま書店で杉田と小川の対談本『民主主義の敵』(青林堂)を見かけた。杉田がLGBTのみならず、他のマイノリティについても語っていたので読んでみた。

 彼女がマイノリティ全般を嫌悪していることが、よくわかる内容だった。部落嫌い、在日朝鮮人嫌いという人はいるが、あらゆるマイノリティに対して差別的というのは、ちょっと珍しい。

 くだんの対談本は『新潮45』の杉田論文掲載と同じ時期に刊行された。 対談本は内容も量も、雑誌のいわば拡大版で、より悪質であると言える 。一方は廃刊だが、もう一方はまだ書店で堂々と売られている。この対談本についてはツイッター (https://twitter.com/kadookanobuhiko/status/1045665849707716609)  でも言及している。

 杉田水脈は、現職の国会議員である。そんじょそこらにいる一般市民ではけっしてない。議員の失言がしばしばニュースになるが、問題を多分に含む対談本は、まったく注目されていない。

 実は杉田は、同様のマイノリティ批判を、他の自著で繰り返し述べている。杉田のマイノリティ嫌悪は、社会的弱者が権利を主張することへの反感である。お前らごときがえらそうな口をきくなーーそう言わんばかりの憎悪に満ちた言説は、差別心の裏返しだ。低く見ているかこそ”上から目線”なのである。

 対談本以外にも、私は杉田の著作を何冊か読んだ。その単純な論理展開とマイノリティ憎悪には心底驚愕した。

 杉田水脈の何が問題か。過去の著作から読み解いていきたい。

    *  *  *

 まずは経歴から見ていこう。1967年、兵庫県神戸市生まれ。鳥取大学農学部を卒業後、住宅販売関連会社で2年間、営業職に就いたあと、兵庫県西宮市役所に18年間勤めた。2012年に日本維新の会公認で衆院選に出馬し、初当選。14年に落選し、17年の衆院選で安倍晋三から「1本釣り」され (前掲『民主主義の敵』) 、自民党比例中国ブロックから出馬し、当選。現在51歳。既婚で大学生の娘がいる。

 彼女は『新潮45』で、LGBTカップルは子供をつくらないので「生産性」がないと書き、非難を浴びたが、昨年刊行した『なぜ私は左翼と戦うのか』(青林堂)の中で、同じようなことを書いている(「・・・」は中略)。

<まず、「男女平等は、絶対に実現しない妄想だ」ということです。

 というのも、男性に子どもが産めるのでしょうか。赤ちゃんに授乳ができるのでしょうか。これらは絶対に不可能です。・・・

 そもそも子どもを産むために男女が一緒になるのは自然の摂理です。性差があってこそ互いに惹かれあい、結び付くわけです>

 生物学的差異があるから男女平等は妄想というのは、それこそ妄想である。差異があるからこそ、実質的平等を希求することが重要であることは言うまでもない。社会的性差=ジェンダーという概念があることを知らないわけではあるまい。

 LGBTが人口の一定の割合で存在するのは、もはや常識だ。性差があろうがなかろうが、互いに惹かれあうのもまた自然の摂理ではないのか。

<もちろん、思春期に一時的に、同性に魅かれることもあります。私も中学と高校は女子校だったので、素敵な先輩に憧れたり、仲のよい同級生と交換日記をしたりしたこともありました。

 でもそれは成長期の一過程であって、誰でも大人になると自然と男性に惹かれ、結婚して子どもを産み、家庭を持つわけです>

 ふた昔前の人生相談における回答者の説教みたいである。思春期の同性愛志向を<成長期の一過程>と断じ、それを経ると<誰もが>異性愛に覚醒し、結婚・出産するという。異性愛者である杉田ならではの決め付けである。

<それなのにLGBTの権利を主張する人は、権利があることを積極的に啓蒙するために教育の中に取り込もうと主張しています。また、いじめやハラスメントなどの他の問題に転嫁し(原文ママ)、一般的な人権被害として主張しています。これは全くばかげています。そもそも成長の途中で最も多感な時期に、同性愛をけしかけるのは疑問に思います。子どもを持つ親としても強く反対したいですね>

 LGBTの存在を学校教育の中でおこなうことと、同性愛をけしかけることはまったく別である。部落問題学習をおこうなうから、差別がおきるという”寝た子を起こすな論”とよく似ている。話のすすめかたが無茶苦茶だ。

<また「LGBTの権利」というように、新しい人権を作る必要があるのでしょうか。日本国憲法はきちんと基本的人権を保障しており、これはどんな人にも及びます。さらに新しい権利を作るとなると、権利の「インフレ」が生じてしまいます。その上、それはLGBTではない人にとっての「逆差別」ともなりかねません。これこそ大きな人権侵害とはいえないでしょうか>(以上、136~137ページ)

 権利は作るものではなく、あるものだ。それが保障されないから、当事者は声を上げる。「インフレ」も「逆差別」も生じない。だが、マイノリティの存在を嫌悪し、彼ら彼女らが主張することをこころよく思わない人々にとっては、脅威なのだろう。

 かつて18年間、西宮市の職員であった杉田は、地方公務員は多忙であると述べた上で、次のように主張する。

<いまや日本は少子化問題が深刻で、国家存亡の危機も招きかねません。それを解消するためには、まずたくさんの人が結婚する必要があるからです。

 しかしそういうことではない同性同士の結婚に、異性同士の結婚ほど時間や労力を費やすことは効率的だとは思えません。多忙な職員に、優先順位の高くない仕事を押し付けるのは止めていただきたいと思います>

 少子化の解決を男女の結婚だけに求め、LGBTに目を向けることを<優先順位の高くない仕事>と言い切る神経。問題を単純化し、マイノリティへの理解を等閑視するのは、杉田の常套手段である。

<彼らの主張するイジメ問題、介護問題、貧困問題、DV問題などは、一般のカップルでも十分ありえることです。どうして彼らだけ特別視しなくてはいけないのでしょうか。それは「人権」を名目に「特権」を求めているのではないでしょうか。

 そもそも世界には自分で望んでもままならないものもあります。いえ、ままならないものの方が多いというのが普通なのです。

 それをひとつひとつ行政を動かしてなんとかさせようというのは、我がままというものではないでしょうか。そしてどうしてLGBTの人たちだけ、そういう我がままを認めなくてはならないのでしょうか>(以上、138~139ページ)

 イジメをはじめ様々な社会問題を挙げているが、誰がこのような主張をしたのか、何も説明がない。イチャモンをつけているとしか思えない雑な文章である。「人権」を名目に「特権」を求めているという記述は、ネトウヨの発想・表現と瓜ふたつである。

 世の中には、どうにもならないことがある。行政が対処する必要がないーー。そんなことを言い出せば、行政をはじめ司法、立法は必要ない。もちろん、国会議員も。

 杉田の主張は、社会問題を顕在化させるどころか、マイノリティを潜在化させ、あまつさえ彼ら彼女らに諦念を説いている。よくこんな暴論が活字になったものだなと思う。こんな妄説を唱える人間が、現職の国会議員でいることが不思議でならない。

『新潮45』問題は、起こるべくして起こった、と私は考える。<2018・10・11>

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