角岡伸彦 五十の手習い

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百田尚樹『殉愛』の真実・作品篇②

『殉愛』をあらためて読み返し、ぜんぜん事実と違うやんと特に思うのは、さくらの恋愛・結婚と金銭にまつわる話である。

 マネージャーだったKが、著者の百田尚樹と版元の幻冬舎を訴えた裁判で、百田はさくらがたかじんと会った2011年末には、彼女にイタリア人の夫がいたことを知っていたと証言している。

『殉愛』では、最初の出会いからわずか3日後に、たかじんはさくらを自宅マンションに招き、正座した上でプロポーズする。かつて好きだった女性に、さくらがそっくりだったから、というのが求婚した理由だ。ここまでで、私はもうおなかがいっぱいだ。

 求婚されたさくらは「気持ちは嬉しいです」と答えたあと、ネイルサロンを営むイタリアに帰ることを示唆する。なぜ、既婚者であることを言わなかったのだろうか。不自然である。

 このあとも、さくらが結婚していないことが前提となったシーン、会話が延々と続く。

 約2週間後、たかじんが 再び 求婚すると、さくらは「私、結婚生活というのが、具体的にイメージできません」と答えている。この時点で、すでに3回も経験してるやん! 

 たかじんとの結婚生活がイメージできない、と解釈できないことはない。だが、すぐあとにさくらは「お互いにイタリアと日本で暮らしながら生活をするのも可能なんじゃないですか?」と提案している。いやだから、イタリアには夫がいるやんか!

 その後、たかじんの食道ガンが発覚する。たかじんはさくらに電話で「手術するのは嫌やから、のたれ死んでもええわ」などと投げやりなことを言う。さくらはヤケになった、たかじんをたしなめた上で「でもーーもし、一緒に(ガンと)闘うなら、お婿さんにしてあげる」と告げる。

 ”お婿さん”にしたら、重婚ですやん! そのとき、何も知らない(?)たかじんは「ほんまに!」と無邪気に大喜びしている。さらにさくらは、たかじんに念押しする。

「これからは二人で頑張っていこう。だから嘘だけはつきっこなしにしようね」

 真実を言わず、結果的に嘘をついてるのは、当のさくらではないか。さくら&たかじんの大阪恋物語に感情移入できないのは、私だけではあるまい。

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 子供じみた”お婿さん”発言から数日後、さくらは父親に電話をかける。以下は親子のやりとりである。

<「お父さん」とさくらは言った。「実はイタリアに帰らないことにした」

「なんでや?」

「好きな人ができたから、しばらく日本にいる」

「そんな人がいつできたんや? 前から、付き合っていた人か?」

「違うの。去年の暮れに知り合ったの。家鋪さんという人なの」>

 このあと父親は、娘が好きになった男が、やしきたかじんであることを知って驚愕し、「お前、何を考えてるんや! 頭がおかしくなったんか」と30以上も歳の離れた有名芸能人と交際していることに怒りをあらわにする。

 さくらがイタリア人と結婚していることは、当然のことながら父親も知っている。さくらは自分のブログ(「都会っ子、イタリア・カントリーサイドに嫁ぐ」)に、父親と夫が会っていることをつづっている。

 だが、『殉愛』では、父親は自分の娘が未婚であるかのように会話している。きわめて不自然だ。「好きな人ができたから、しばらく日本にいる」と告げられれば、相手がはるかに歳上で有名人のたかじんであることを怒るよりも、「お前は結婚してるやないか!」ととがめるのが普通であろう。

 冒頭でも書いたが、百田はさくらがイタリア人と結婚していたのは知っていた、と裁判で証言している。だとすれば、作者は読者を欺いたことになる。なぜ百田は、この作品をノンフィクションと言い張ったのだろうか。

 果たして百田は、さくらが既婚者であることを本当に知っていたのだろうか? むしろ、騙されていたのではないのか? 

 どちらにしても、さくらとたかじんのやりとり、さくらと父親のそれは、ほとんどフィクションであろう。

 ”お婿さん”発言の1ヵ月半後、さくらはイタリア人と離婚し、その約1年半後にはたかじんと結婚する。実に手際が良い・・・。

 イタリア人との結婚と離婚については、『殉愛』には一切触れられていない。

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 さくらは遺産目当てで結婚したのではないかーーたかじんの死後にそう報じた週刊誌・スポーツ紙に対し、百田はエピローグで次のように反論している。

<さくらはたかじんの遺産を目当てに結婚したのではない。私は遺言書(コピー)をこの目で見ているが、たかじんの預金は全額寄付することになっている。ここで金額をはっきり言うことはできないが、数億は下らない。これらの金をさくらはまったく望まなかった。彼女が受け取ったのは、預金以外の大阪と東京のマンションの権利その他だけだ>

 私は財産目当ての結婚を一概に否定はしない。残念ながら世の中にはよくある話である。

 だが、その疑いが強い結婚を純愛物語にしてしまうのは、どうかと思う。さらに問題なのは、取材もせずにマネージャーや娘、元妻をあしざまに書いたことだ。

 百田の取材は、さくらを中心におこなわれたが、肝心のヒロインは金銭への執着が尋常ではなかった。

 たかじんが亡くなる4日前に、当面の生活資金として1000万円を吉村洋文弁護士(現・大阪市長)に求めて持ってこさせた上、たかじん所有の金庫内にあった現金2億円弱を自分のものだったことにしてほしいと懇願し、吉村にたしなめられた。さらに母校などへの合計6億円にのぼる遺贈の放棄を求め、たかじんの事務所に夫の退職金を求めて裁判まで起こした。

 いずれの工作も失敗に終ったが、遺贈に関して<これらの金をさくらはまったく望まなかった>という百田の記述は、まったく説得力を持たない。

『殉愛』に登場するヒロインは、もらっても問題はない現金さえ返そうとするクリーンな人物に描かれている。

 たかじんは自分が主催したパーティーにさくらを招待し、初めてふたりは出会う。先に帰るさくらに、たかじんは 人を介して 1万円入りのポチ袋をタクシー代として渡した。翌日、さくらは意外な行動に出る。以下『殉愛』から引用する。

<その後、フェイスブックで、たかじんに昨夜のお礼のメールを送り、「できればタクシー代のお釣りを返したいのですが」と書いた。実際にかかったタクシー代は千円ちょっとだったから、大半が手元に残っていた。これを返さないと、お小遣いをもらったみたいで嫌だったのだ>

 自分のために来てくれた人物に、タクシー代という名目で金銭を渡すことは、特に珍しいことではない。とりわけ芸能界では。むしろタクシー代を差し引いた金額を返すのは無粋である。

 それを返そうとする”純粋な人”がいてもいい。だが、同じ人物が、夫の死の間際に生活資金と称して1000万円を持ってこさせたり、夫の死後に金庫にあった巨額を自分のものだと強訴したりするのは、どう考えても平仄が合わない。

 タクシー代の返還の話が本当だとすれば、さくらは周到な計画を立て、出会った当初は財産目当てでたかじんに近づいていないことを演じていたのかもしれない。だとすれば、やはり百田は、さくらに騙されている。

 前にも触れたが、たかじんはさくらと会って2週間後に、300万円が入ったポーチを差し出し「秘書をやってほしい」と懇願する。さくらは受け取りを拒否するが、半ば無理やり持たされてしまう。数日後、現金を返そうとする際、こんな台詞を言ったことになっている。

「プライベートでもオフィシャルでも、お手伝いできることはやります。でも、お金はいりません」

 かっこいい! だが、「でも」以下の発言は、いまとなっては誰も信じないだろう。

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『殉愛』ではさくらは、金銭欲がまったくない上に、商才があるかのように描かれている。

 同書によると、さくらはイタリアでネイルサロンを経営するまで、大阪で会社を営む伯父の秘書を務めたことになっている。

<さくらは秘書時代に伯父の株式の運用を任され、二年間で一億円近い利益を出していた。伯父は姪に実業家の才能があると見て、「いつか起業するなら、いつでも投資してやるぞ」と言っていた>

 それだけ株の売買の才能があるのに、なぜさくらはたかじんの死後、金に困っていると窮状を訴え、遺贈の放棄を要求したのだろうか。株で儲ければいいではないか。

 また、実業家の才能があるなら、伯父に出資してもらえば第二の人生がスタートできたはずである。

 さくらの2番目の夫の話によると(たかじんは4人目)、この伯父は実は大阪市内にあるアダルトビデオを扱う会社の社長(当時)を務める愛人だった。この社長はストーカーのような行動をとったため、さくらに訴えられている(「百田尚樹『殉愛』の真実」(宝島社、以下『殉真』と省略)「5000万円をポンと出してくれた」伯父の正体)。まったく話が違うのである。

 たかじんのマネージャーのKが原告となった裁判で、百田は「自分の取材に圧倒的な自信がありました」「K氏のことに関しては、出来る限り裏を取ったつもり」「私がK氏に関して書いたことも、これはもう間違いないという確信を持って書きました」などと証言した。

 では、K以外の登場人物はどうなのか? たとえば百田は、この”伯父”を取材したのか? 出来る限り裏を取ったのか? 本当にさくらは株の運用を任され、2年間で1億円近い利益を出したのか? さくらに訴えられていたことも知っていたのか?  

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  『殉愛』の刊行から3年後、そして同書を検証した『殉真』が上梓されて2年後の2017年12月、『百田尚樹 永遠の一冊』(飛鳥新社)が書店に並んだ。この中で、百田が全著作について解説している。『殉愛』の全文は以下である。

<食道ガンを患った歌手やしきたかじんが最後に愛した女との凄絶な2年間を描いたノンフィクションです。30歳年下の妻は過去何度かの結婚歴があったゆえに、「未亡人は遺産目当ての女」と中傷され、物議を醸した本ですが、本を読んだ読者にはそうではないことがわかるはずです。書かれている内容はすべて真実です>

 たかじんは1949年、さくらは81年に生まれている。32歳違いで<30歳年下>ではない。自著の基本情報さえまともに書けない理由がわからない。 この期に及んで<ノンフィクション>を標榜する神経も。

 そもそもさくらの< 過去何度かの結婚歴>と<遺産目当ての女>という<中傷>は関係がない。たかじん以前の3人の夫は、資産家ではなかったからだ。さくらが未婚であるかのように書き、たかじんに関しては遺産目当てであるかのような動きをしたからこそ物議を醸したのではないのか。自著であるにもかかわらず、本人の解説が支離滅裂である。

 内容もさることながら、表現もおかしい。<本を読んだ読者>はないだろう。読者とは文字通り、本を読んだ者をいう。

 最後の<書かれている内容はすべて真実です>という念押しにいたっては、おめでたいというしかない。<2019・1・31/完>

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