くじけないで手紙を書いた

ひさしぶりに見返した。枡野浩一さんの詩集「くじけな」(文藝春秋)の刊行のお祝いに作ったドキュメンタリー映画『くじけないで手紙を書いた』。お祝いなのに、枡野さんご本人への負担が大きかった。枡野さんが、完成したばかりの詩集を友人たちに直接届けに行き、夜に帰宅する話。『春原さんのうた』のもうひとつの私自身の原作みたいだった。

『春原さんのうた』は俳優の荒木知佳さんの治療の完治祝い。『くじけないで手紙を書いた』は歌人の枡野浩一さんの詩集の刊行祝い。一人暮らしの一室で、主人公が洗濯物を干して、お湯を沸かして、出かけて、電車に乗って、途中に本を開いて、誰かと会って、話して、帰ってきて、洗濯物を取り込む。前者が撮られたのは2020年のコロナ禍が始まって間もない頃で、後者が撮られたのは2011年の震災が起きて間もない頃。

映画学校に入学したのは2001年の9月だった。初日に伝えられた最初の課題は、晴海公園で16mmフィルムを使って30秒間の映画を撮ることだった。撮影の日を迎えるまでに、ニューヨークで同時多発テロが起きた。家の台所には、ニューヨークに転勤して間もなかった兄から届いたワールドトレードセンターの写真がプリントされた葉書が置かれてた。ここの89階で働いてると書かれてた。居間のブラウン管のテレビ画面にビルが映るたびに、兄がいるはずの89階を指でなぞりながら数えた。二つあるうちの、どちらのビルなのかはわからなかった。数えきる前にカットは切り替わっていった。当時は本格的にインターネットが普及し始めた頃で、SNSはなく、メーリングリストでのやりとりが次の日から始まった。大学の同級生だった人たちが、同時多発テロについて、これはつまるところはアメリカに原因があるとか、いろんな意見を交わし合ってた。

晴海公園で、映画学校の同期生の少なくない人たちは、様々な小道具を用意して、そのことを撮影しようとしてた。私は、一人の人が晴海公園にただ立ってる姿を撮った。重いスターン社のフィルムカメラを肩で支えながら、ゆっくりと歩き、最後は家の台所から持ってきた椅子に、カメラが揺れないように慎重に上がりながら、見下ろすようにその顔を撮った。振り返ったその目はレンズを睨み上げてる。

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