そして何よりも国会の与野党の多くの議員に蔓延している「改革脳」です。
曰く「改革が足りない」、曰く「改革しなければならない」
そういう連中の言う事はだいたいにおいて既存制度の全否定と競争原理の導入です。
結果、現在の日本では中産階級の実質的壊滅でしょう。
日本に必要なのはぶっ壊す改革ではなく「改善」です。
また、不必要な競争原理の導入をやめることです。
たとえば図書館なんて「利用者数」なんてものを物差しにするようになり、
利用者数が少ないと予算カット、もしくは廃止の対象にされかねないからと、
民間に丸投げして図書館の本来の目的である「知識」「教養」のための存在を忘れ、
利用者が増えるからと小説やラノベの新刊が毎月ずらっと並ぶ「貸本屋状態」になりました。
新刊本なんて一般の書店に行って買わせればいいんです。
そんな無駄な予算を使わずに本来の目的である教養のための書籍購入に回せばいいのです。
こんなところに競争原理など全く必要ありません。
ところがこの20年くらいの競争マンセーの風潮の中で、
なんでもかんでも無理矢理に指標を作って採点して廃止を判断するような形が増えました。
民主党がパフォーマンスに利用し、
河野太郎も今だに続けている「事業仕分け」。
この事業仕分けもまた無知が無用な評価基準を作って予算をカットしたいだけの無駄な行為。
という悪しき路線そのものだと言っていいでしょう。
民間がやって利益が出るのなら民間でとっくにやってるんですよ。
利益が出にくい、あるいは出ないような地味なところこそ、
本来は税金で支援して維持すべきものなんですから。
「利益が出たら廃止して民間にやらせろ」「利益が出ないなら廃止」
事業仕分けのこの理屈は明らかに狂っています。
しかしながら特にこの10年くらいは改革病が蔓延していて
なんでもかんでも「無駄」なんて言葉を基準にして潰そうとしてきました。
何にとって、誰にとって「無駄」なのか?
無駄の基準が「金銭的利益」などとにかくあまりにも目先のことに偏り過ぎです。
改革病という病気こそ実は無駄を生み出す原因であり、
改革病というのは「改革しなければならない対象」という敵を作らなければ、
自分達改革病という存在を確立・維持できないのだろうと思います。
そうした中で日本的な制度だったりを改革してきた結果が
かえって日本の足を引っ張り、
さらに何でもかんでも強引な基準を作っては「無駄」という敵をそこに勝手に作り出して叩く。
改革病という中二病の一種から国民が抜け出さない事には
大阪都構想のようなアホな疑似餌に引っかかり続けるでしょう。