200102

四歳のわたしが何度も雪玉をまっすぐ投げてくるわたくしに

/吉川みほ『行き先の思い出せないバス』

一人称を使い分ける歌はいくらかあると思うのだけれど、もっとも端正に整うのが掲出歌の「わたし/わたくし」ではないかと思う。比較的音が似ており、どことなく「子ども/大人」の対比がシンプルに感じられるからだ。

歌の「わたし」が子ども、「わたくし」が大人であることは異論がないだろう。その上で、一見、記憶の中の子供の自分が、自分に影響する形で記憶として関わってくる、という読みが成り立ちそうである。幼い頃の雪を投げた無邪気な記憶が、今、刺さる。そこに共感性がある。

ただ、記憶を純粋にリプレイするのであれば、あくまで「わたくし」も「わたし」も目線は同じはずだ。投げる方の視線で、人なのか、モノなのか、なにかしらにまっすぐ投げ続ける様が記憶として再生されるはず。

でも、今のツッコミは二通りの読みで解消できそうだ。一つは例えばビデオを見ているとき。だれか、「わたし」に雪玉を投げられている人が撮影した動画を見ているという実景読みだ。その撮影者の気分になって自分を見つめるのも詩情がある。

もう一つは、完全に心象読みをするだけだ。記憶はサンプリングされて「わたくし」は「わたし」の先に立つことは、もちろんできる。夢のような記憶再生であるような気がするし、僕が最初に提示した読みはこれに近いだろう。

どちらにせよ、自然に共感できる形で「昔の自分と向かい合う」という点を強調させているところが、歌の読みどころでありいいところだと思う。だからこそ、「まっすぐ」が効いている。やや、偏執的にも感じる副詞に、「わたし」からの逃げられなさを覚える。

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