「武道館でフラカンを観て考えた、「ただ生きる」ということ」
生きている人に対して、「生きていて凄いですね」なんて普通は言わない。「息をしていて凄いですね」とか、「毎日、寝たりご飯を食べたりして凄いですね」とも言わない。まぁ、大概の場合において、それは当たり前のことだからである。
でも、僕がフラワーカンパニーズの日本武道館ワンマンを観て抱いた感情は、そういうものだった。「フラカン、生きていて凄い」。そこに、4人の男がいた。そこに、ロック・バンドがいた。音楽があった。1曲目の“消えぞこない”が鳴り響いた瞬間の興奮も、鈴木が潰れそうな喉を振り絞って歌った“この胸の中だけ”の切迫感も、“発熱の男”が始まった時に巻き起こった喝采も、“深夜高速”だけが持ちえた圧倒的な強さも、“真冬の盆踊り”で約9000人のオーディエンスを包み込んだ祝祭感も……全てが「生きていた」。そうとしか言いようがない。まがりなりにも音楽ライターを名乗りながら生きている人間として、「それってどうなのよ?」と自分でも思う。でも、そうだったのだ。あの日、武道館で、フラカンはただ、生きていた。
前に、アルバム『Stayin’ Alive』がリリースされる時、僕はインタビューで鈴木にこう訊いた。「このアルバムは、“生”を描くことで、結果として“死”すらも描いたアルバムですよね」。それに対して、鈴木ははっきりした口調でこう答えた。「うん、でも作り手の意識としては、このアルバムは“死”を描くことで、結果として“生”を描いたんだよ」。この答えを聞いた時、フラカンの、とっても本質的な部分に触れたような気がした。鈴木にとって、フラカンにとって、あらゆる物事の前提にあるのは「生」ではなく、「死」なのかもしれない。
別に、鈴木が死にたがっているとか、そんなことではない。ただ彼はきっと、「死にながら生きてしまう」状態や「生きているのに死んでいる」状態が、人間には本当にあるんだと知っているんだと思う。そして、人間はいとも簡単に、その状態に陥ってしまうことも知っている。だから、彼は「ただ生きる」ために、フラカンというバンドをやっているんじゃないだろうか。「ただ生きる」ことは、「死にながら生きる」ことへの抗いなんじゃないだろうか。
鈴木はよくインタビューで、「大きな夢は持たないようにしてやってきた」とか、「バンドを続けることが目標だ」と言う。彼の発言を「夢のない話だ」と捉えることもできるかもしれない。でも、同級生の繋がりで始まったバンドが、メンバーチェンジもなく、大きなブレイクもなく、それでも26年間走り続けてきた――これって、とんでもない奇跡じゃないか。優れたソングライターと、それを理解し具現化できるプレイヤーと、さらにバンドを困窮させない敏腕マネージャーまでメンバーに揃っている。奇跡としか言いようがない。フラカンの4人は、この奇跡を絶対に手放したくないのだろう。何故なら、「ただ生きる」ためには、奇跡や魔法の1個や2個はあって然るべきだし、あるいは、それを信じる心持ちというのは、どうしたって必要だからだ。
<生きててよかった そんな夜を探してる>――この“深夜高速”歌詞の裏側にあるのは、<生きててよかった>なんて到底思えない何百何千という夜の存在である。現実というものは、<生きててよかった>なんて、そう簡単には思わせてくれないものだ。そんな現実に埋没していく中で、人は「死にながら生きる」道を選択してしまう。でも、いつ訪れるかもわからない<生きててよかった>と思える夜を、そんな奇跡みたいな夜を探す覚悟さえあるのなら、僕らは、「ただ生きる」ことができる。
武道館でのステージ上の光景を観ながら、「いつものフラカンだ」と思ったのと同時に、「フラカンは、いつも、こんなにとんでもないことをしていたのか」とも思った。フラカンの4人は、ステージの上で<生きててよかった>と思ったのだろうか。わからないけれど、「夢のおかわり」なんて言葉を掲げてしまうような、たまに自虐的なことを言うくせに実はとんでもない貪欲さを持ったこの4人は、「メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!それでも26年続いてきたロック・バンド」という奇跡を持続させ、むしろ奇跡を上塗りし続けながら、ただ生きていく。僕らはどうだろう。僕はどうだろう。この日、ステージ上の4人を見ながら、「生きるなら、このくらいやらないとダメだぜ」と言われているような気がした。「ただ生きる」って、とんでもなく難しい。でも、僕は生きたいから、<生きててよかった>と思えるような、そんな奇跡のような夜を探して歩き続ける覚悟は持っていようと思う。
最後に自分の事を書いてしまった。でも、フラカンを聴いたら自分の事を恥ずかしげもなく語りたくなってしまう。この気持ち、わかりますよね?
ライター:天野史彬
photo by HayachiN
"みんなでつくろう「フラカンの日本武道館」"
生きている人に対して、「生きていて凄いですね」なんて普通は言わない。「息をしていて凄いですね」とか、「毎日、寝たりご飯を食べたりして凄いですね」とも言わない。まぁ、大概の場合において、それは当たり前のことだからである。
でも、僕がフラワーカンパニーズの日本武道館ワンマンを観て抱いた感情は、そういうものだった。「フラカン、生きていて凄い」。そこに、4人の男がいた。そこに、ロック・バンドがいた。音楽があった。1曲目の“消えぞこない”が鳴り響いた瞬間の興奮も、鈴木が潰れそうな喉を振り絞って歌った“この胸の中だけ”の切迫感も、“発熱の男”が始まった時に巻き起こった喝采も、“深夜高速”だけが持ちえた圧倒的な強さも、“真冬の盆踊り”で約9000人のオーディエンスを包み込んだ祝祭感も……全てが「生きていた」。そうとしか言いようがない。まがりなりにも音楽ライターを名乗りながら生きている人間として、「それってどうなのよ?」と自分でも思う。でも、そうだったのだ。あの日、武道館で、フラカンはただ、生きていた。
前に、アルバム『Stayin’ Alive』がリリースされる時、僕はインタビューで鈴木にこう訊いた。「このアルバムは、“生”を描くことで、結果として“死”すらも描いたアルバムですよね」。それに対して、鈴木ははっきりした口調でこう答えた。「うん、でも作り手の意識としては、このアルバムは“死”を描くことで、結果として“生”を描いたんだよ」。この答えを聞いた時、フラカンの、とっても本質的な部分に触れたような気がした。鈴木にとって、フラカンにとって、あらゆる物事の前提にあるのは「生」ではなく、「死」なのかもしれない。
別に、鈴木が死にたがっているとか、そんなことではない。ただ彼はきっと、「死にながら生きてしまう」状態や「生きているのに死んでいる」状態が、人間には本当にあるんだと知っているんだと思う。そして、人間はいとも簡単に、その状態に陥ってしまうことも知っている。だから、彼は「ただ生きる」ために、フラカンというバンドをやっているんじゃないだろうか。「ただ生きる」ことは、「死にながら生きる」ことへの抗いなんじゃないだろうか。
鈴木はよくインタビューで、「大きな夢は持たないようにしてやってきた」とか、「バンドを続けることが目標だ」と言う。彼の発言を「夢のない話だ」と捉えることもできるかもしれない。でも、同級生の繋がりで始まったバンドが、メンバーチェンジもなく、大きなブレイクもなく、それでも26年間走り続けてきた――これって、とんでもない奇跡じゃないか。優れたソングライターと、それを理解し具現化できるプレイヤーと、さらにバンドを困窮させない敏腕マネージャーまでメンバーに揃っている。奇跡としか言いようがない。フラカンの4人は、この奇跡を絶対に手放したくないのだろう。何故なら、「ただ生きる」ためには、奇跡や魔法の1個や2個はあって然るべきだし、あるいは、それを信じる心持ちというのは、どうしたって必要だからだ。
<生きててよかった そんな夜を探してる>――この“深夜高速”歌詞の裏側にあるのは、<生きててよかった>なんて到底思えない何百何千という夜の存在である。現実というものは、<生きててよかった>なんて、そう簡単には思わせてくれないものだ。そんな現実に埋没していく中で、人は「死にながら生きる」道を選択してしまう。でも、いつ訪れるかもわからない<生きててよかった>と思える夜を、そんな奇跡みたいな夜を探す覚悟さえあるのなら、僕らは、「ただ生きる」ことができる。
武道館でのステージ上の光景を観ながら、「いつものフラカンだ」と思ったのと同時に、「フラカンは、いつも、こんなにとんでもないことをしていたのか」とも思った。フラカンの4人は、ステージの上で<生きててよかった>と思ったのだろうか。わからないけれど、「夢のおかわり」なんて言葉を掲げてしまうような、たまに自虐的なことを言うくせに実はとんでもない貪欲さを持ったこの4人は、「メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!それでも26年続いてきたロック・バンド」という奇跡を持続させ、むしろ奇跡を上塗りし続けながら、ただ生きていく。僕らはどうだろう。僕はどうだろう。この日、ステージ上の4人を見ながら、「生きるなら、このくらいやらないとダメだぜ」と言われているような気がした。「ただ生きる」って、とんでもなく難しい。でも、僕は生きたいから、<生きててよかった>と思えるような、そんな奇跡のような夜を探して歩き続ける覚悟は持っていようと思う。
最後に自分の事を書いてしまった。でも、フラカンを聴いたら自分の事を恥ずかしげもなく語りたくなってしまう。この気持ち、わかりますよね?
ライター:天野史彬
photo by HayachiN
生きている人に対して、「生きていて凄いですね」なんて普通は言わない。「息をしていて凄いですね」とか、「毎日、寝たりご飯を食べたりして凄いですね」とも言わない。まぁ、大概の場合において、それは当たり前のことだからである。
でも、僕がフラワーカンパニーズの日本武道館ワンマンを観て抱いた感情は、そういうものだった。「フラカン、生きていて凄い」。そこに、4人の男がいた。そこに、ロック・バンドがいた。音楽があった。1曲目の“消えぞこない”が鳴り響いた瞬間の興奮も、鈴木が潰れそうな喉を振り絞って歌った“この胸の中だけ”の切迫感も、“発熱の男”が始まった時に巻き起こった喝采も、“深夜高速”だけが持ちえた圧倒的な強さも、“真冬の盆踊り”で約9000人のオーディエンスを包み込んだ祝祭感も……全てが「生きていた」。そうとしか言いようがない。まがりなりにも音楽ライターを名乗りながら生きている人間として、「それってどうなのよ?」と自分でも思う。でも、そうだったのだ。あの日、武道館で、フラカンはただ、生きていた。
前に、アルバム『Stayin’ Alive』がリリースされる時、僕はインタビューで鈴木にこう訊いた。「このアルバムは、“生”を描くことで、結果として“死”すらも描いたアルバムですよね」。それに対して、鈴木ははっきりした口調でこう答えた。「うん、でも作り手の意識としては、このアルバムは“死”を描くことで、結果として“生”を描いたんだよ」。この答えを聞いた時、フラカンの、とっても本質的な部分に触れたような気がした。鈴木にとって、フラカンにとって、あらゆる物事の前提にあるのは「生」ではなく、「死」なのかもしれない。
別に、鈴木が死にたがっているとか、そんなことではない。ただ彼はきっと、「死にながら生きてしまう」状態や「生きているのに死んでいる」状態が、人間には本当にあるんだと知っているんだと思う。そして、人間はいとも簡単に、その状態に陥ってしまうことも知っている。だから、彼は「ただ生きる」ために、フラカンというバンドをやっているんじゃないだろうか。「ただ生きる」ことは、「死にながら生きる」ことへの抗いなんじゃないだろうか。
鈴木はよくインタビューで、「大きな夢は持たないようにしてやってきた」とか、「バンドを続けることが目標だ」と言う。彼の発言を「夢のない話だ」と捉えることもできるかもしれない。でも、同級生の繋がりで始まったバンドが、メンバーチェンジもなく、大きなブレイクもなく、それでも26年間走り続けてきた――これって、とんでもない奇跡じゃないか。優れたソングライターと、それを理解し具現化できるプレイヤーと、さらにバンドを困窮させない敏腕マネージャーまでメンバーに揃っている。奇跡としか言いようがない。フラカンの4人は、この奇跡を絶対に手放したくないのだろう。何故なら、「ただ生きる」ためには、奇跡や魔法の1個や2個はあって然るべきだし、あるいは、それを信じる心持ちというのは、どうしたって必要だからだ。
<生きててよかった そんな夜を探してる>――この“深夜高速”歌詞の裏側にあるのは、<生きててよかった>なんて到底思えない何百何千という夜の存在である。現実というものは、<生きててよかった>なんて、そう簡単には思わせてくれないものだ。そんな現実に埋没していく中で、人は「死にながら生きる」道を選択してしまう。でも、いつ訪れるかもわからない<生きててよかった>と思える夜を、そんな奇跡みたいな夜を探す覚悟さえあるのなら、僕らは、「ただ生きる」ことができる。
武道館でのステージ上の光景を観ながら、「いつものフラカンだ」と思ったのと同時に、「フラカンは、いつも、こんなにとんでもないことをしていたのか」とも思った。フラカンの4人は、ステージの上で<生きててよかった>と思ったのだろうか。わからないけれど、「夢のおかわり」なんて言葉を掲げてしまうような、たまに自虐的なことを言うくせに実はとんでもない貪欲さを持ったこの4人は、「メンバーチェンジなし!活動休止なし!ヒット曲なし!それでも26年続いてきたロック・バンド」という奇跡を持続させ、むしろ奇跡を上塗りし続けながら、ただ生きていく。僕らはどうだろう。僕はどうだろう。この日、ステージ上の4人を見ながら、「生きるなら、このくらいやらないとダメだぜ」と言われているような気がした。「ただ生きる」って、とんでもなく難しい。でも、僕は生きたいから、<生きててよかった>と思えるような、そんな奇跡のような夜を探して歩き続ける覚悟は持っていようと思う。
最後に自分の事を書いてしまった。でも、フラカンを聴いたら自分の事を恥ずかしげもなく語りたくなってしまう。この気持ち、わかりますよね?
ライター:天野史彬
photo by HayachiN