Install this theme
習慣を変える

考える習慣をどのように行っているのか、によって、その人の思考方法が決定されている。
散歩もまた思考の習慣である。逍遥学派や哲学の道、のように、哲学と散歩は親しんだことばとなっている。カントの散歩の時刻があまりにも正確で人々はカントがあらわれる時間に応じて時計の針を合わせたエピソードのように、人物や思想を習慣から思い起こすことができる。

パソコンのテキスト編集ソフト(私の場合は、macのテキストエディット)によって考えるときは、箇条書きで順当で論理的な思考が導かれる。
B5のスケッチブックで思考すると、図像的な思考となり、グラフや自由な概念の結びつきが現れるが、人に伝えようとするとき、溢れる多次元の概念が到底、ひとには伝わらないものになってしまう。
エクセルでの思考が2次元での表現を助ける。表はもちろん、グリッドにもなるので、2軸で切る作業もエクセルが「アフォード」してくれるのだ。散歩が五感での思考である一方で、机上(デスクトップ!)・パソコンの思考は手の仕事になる。
考える習慣は、環境と、環境と接続される身体の部位とそれに伴う感覚、頻度によって構成されるだろう。私が考える習慣を重要に思うのは、この習慣を変える、ということを、自らが求め、他者からも求められる、という機会が減っていくことである。
中国の故事で、やくざの親玉になろうとおもった個性のない男が、やくざの親玉の鞄持ちとして一挙手一投足を真似、はじめは気持ち悪がられていたが、いつのまにか、やくざの親玉になっていた、というものである。考え方、とは、その人のパーソナリティのようであるが、日々の習慣によって変わるものだ。
企業における新人の成長とは、企業に一日のほとんどを拘束され、企業の人々が持つ習慣を体得するプロセスのことだ。どのようにメモをとるのか、さえ、指示するのが新人の教育というものである。
「犬は糞を食うのをやめられない」という言葉がある(なんども引用してしまう)。
犬は、ということばのうらに、我々は人をどのように捉えているのだろう?
犬は変われないが、人は変わることができるのだろうか。
犬は変われないし、自分やあなたも犬のように変われないのだろうか。

テクノロジーの進歩は我々の生活を変える。我々の習慣を変える。
新天地で新しいコミュニティにはいることで我々は習慣を変える。
新しい大切な人との出会いが、自分の習慣を変えることを要求する。

普及理論が明らかにするように、イノベーションとは、いままでとは違うやり方を、いままでのやり方と地続きに受け入れることだ。
批評の世界でいう「永遠に続く日常」、例えば、映画『うる星やつら2』で文化祭の前日が永遠にループするような状態、あるいは、日本経済の低成長、東京生まれ人口が増え上京というライフイベントのイニシエーションを受けた人口が減る、海外に留学しない日本人学生、先進国で著しく少ないアメリカへの移民、ソニーの停滞、自分はイノベーティブな仕事をしていないとOECD中最下位の日本人、内にこもる日本人、挑戦しない日本人、日常を受け入れ鍛錬することでいつしか非日常の存在になれた「職人」への憧憬。様々な言説がいままでのやり方がいままで通り続いていること、それに倦怠していること、一方で受け入れていること(と思っていること)を示している。とはいえ、マダム・ボヴァリーのロマン主義が自殺に追い込むように、絵に描いたようなあこがれはとうの昔から破滅の予兆なのである。これは現代特有の形式なのではなく、変化への渇望が形式を変えて現れている。江島生島事件にしても、華厳の滝の自殺にしても、変化への渇望の奇妙な現れ(sign)、今で言えば表象(representation)なのではないだろうか。

他人を生きるために、まずは、日々の生活の習慣を変える。
ドラスティックに変える(住まいを変える、付き合う人を変える、仕事を変える)のでもよいし、
ちょっとずつ変える(青汁を毎日飲む、筋トレをする)のでも。
現代を象徴する、アメリカ人の圧倒的な変わることへの渇望(テレビ宗教・通販は起業家精神と同じ精神構造の根源を持つだろう)。習慣をモノとして買うことを彼らは生み出したのだ。

優れた作家や宗教家は時流に応じて、ないし、時流をつくりながら、変化への渇望やそれ周辺の心の動きを表現するだろう。優れたビジネスマンや活動家は、習慣を作り出す製品を生み出すだろう。
極言すれば、階級やコミュニティとは、似たような習慣を持つひとの集まりなのだ。
「お金を持つ人の習慣」という、低俗ベストセラーの決まり文句と同じ内容になってしまった。
ポイントは、本を読むだけでは、その習慣を獲得するのは難しい、ということがある。
「系」は意識だけでも変わらず、とはいえ、環境は意識せねば変わらない。継続的に意思と資源(時間・体力…)、それに機会だ。この意思を生むのが、夢である。夢とは、環境に基づかない意思のことなのだ。

話はひろがりに広がりきり、夢という茫漠としたものの定義もできたような気がするので、はじめに戻ると、技術の革新は、滅多に変わらない環境と意思や夢を実現するものになりうる。
本人の意思が技術に向いていなければ、他人が技術に触れる機会を提供することができる。多くの商売は、価値を生むところと価値に触れる機会を提供する、そんな仕組みになっているだろう。
夢・仕事・価値・機会・習慣・技術。飽きずに価値を生み出し続けていくために、なにができるのか。よいバランスとリズム、流れを追い求めて、少しずつ、時には大胆に習慣を変えていく。常に、常に、常に。