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規範無き時代の見立て

社会的規範や標準型の家庭や生活というものは、
バランスを獲得するのに効率の良いやり方だと思う。
しかし、バランスの前提となる条件が変化しやすい場合に、
意味のないバランスの取り方を設定しても、その嘘が暴かれるだけだ。
規範や標準化のない時に、一体いかなるものを拠り所にバランスを獲得することができるのだろう。
常に考え、常に行動し、常に検証し続けるためにも、
安定した資本(お金・時間・体力・土地・社会関係…)が必要なのだ。
そうなってくると、持つものはさらに持つことができ、
持たざるものはさらに持たざるものとなる。
持つとは別に物質的なものに限らず、精神的なものや考え方も、
持てるものと持てないものに分かれてくる。

この時、ルールチェンジになるのは、
ものの見方を変えることだ。自らのものの見方を変えて、それを周囲と共有することができれば、
そこに市場が生まれ、今までは持っていなかったと思っていたものを我々は持つことができる。

お金の本来的な自己言及的な性質(
みんながそれに価値を認めるからこそ、それは流通しうるし、
流通しうるがゆえにそれに価値が認められる)は、まさに見立ての力を示しているのだ。

見立ては、不定形のよく分からないものを資本にする。

このような資本化されていない資本がなるべく身の回りからなくならないように、
不定形のよくわからないものを畏れ敬い愛しながら、付き合う必要がある。
不定形のよくわからないものとは、自然だけではない。
自然と対置される都市の中にも不定形は潜んでいる。
我々人間が自然の産物であるのだから、人間の産物の都市にも自然が潜んでいる。

デザインドリヴンイノベーションが”イノベーション”たり得るのは、
このような人間社会が持つよく分からないものを価値化することは、
意味を与えられた時なのである。

高度に情報化された時代の不定形と意味化=資本化は一体どのような分野に眠っているのだろう。
それを発掘する現代の山師こそが、イノベータたりうるのだ。